2001年12月29日にいただいたもの

家を整理していたら、こういうものが出てきた。封筒の表書きによると、朝比奈さんが亡くなった日の大阪フィル「第九シンフォニーの夕べ」で関係者に配られたようだ。中身は翌年の大フィル手帳。

我が家の「朝比奈隆」の資料フォルダに収めさせていただきました。

まだ14年前のことなので、さほど、どう、ということはないけれど、こういうのはモノが失われると記録だけあってもなあ、ということになりますね。

で、しかしそういうことになるのは、モノが失われやすいし、貯まってくると、ひとつひとつを保管しつづけるのがそれほど簡単なことではなくなるからでもある。

アーカイヴは、そういう性質をもってますよね。

大学・研究機関が「標準・一般性・広域性」等々で締め付けられているらしきご時世ですが、そういう攻撃の矢をいかにかいくぐって、一点物とか、他所にないものを残す道を見つけるか、きっとみなさん、賢いはずだから、色々考えていらっしゃるに違いないと信じたい。

ディベートの技とか、コミュ力とか、「たくさん知り合いがいるもんね」力とか、そういうのんは、こういう時に活かさんかったら、いつが本番やねん、ということですもんね。

(と、そんなことを言いながらも、というか、だからこそというべきか、保存せず、と決めたものは、郵便物でも何でも、受け取ったその日に玄関先でただちに処分しますけどね。

それはもちろん、自分が書いた文章を他の方が同様に処理される可能性が少なからずあることを前提にして、読んだら/済んだら捨てられる前提で、なおかつ手を抜かないのが文章を売るということだ、と当たり前のことを思っているに過ぎないわけで、

「私たちが丹精込めて作ったものを捨てるような人とは今後おつきあいはいたしません」

と、そこまで人の行動に干渉するのは、何やら、国歌斉唱の口パク調査めいてますよね。まあ、わたくしのことをそのように(陰で)誹謗する人たちは、何か別にわけがあって、表向きの理由としてそう言っているに過ぎないのだろうと思うが。)

[なお、演奏会のご案内などは、本番の月の月末までは分類してすべて保管させていただいております。未来に向けて動きつつある物事を、現在の時点で勝手に先取りして「なかったこと」にしてしまおう、などというのは、効率主義とは別の暴力だと思っております。「スケジュール管理」の名の下に、未来を「ある/なし」「On/Off」の粗雑な二値に分けてしまうのは、おそらくデジタルの横暴と言うべきでしょう。

過去=既に起きたこと、ですら、何があったのか、残された事実・データに何度も立ち戻って、解釈を繰り返し更新し続けなければ、現在へ伝わり、残されることはないのですから。]

京舞井上流の誕生

京舞井上流の誕生

祇園の都をどりの流派の成り立ちと伝承をどこまで歴史的にたどることができるのか。高価な本ですが、すごく面白かった。

能との交流、人形浄瑠璃と交流した「人形ぶり」という流派の位置づけは武智鉄二にも大きな示唆を与えて、その後のジャンル・流派横断的な評論・演劇活動の発想の源泉のひとつになったと思われますし(たとえば歌劇「赤い陣羽織」の演出にも「人形ぶり」が入り、この作品の演出は実にいろいろなものを「横断」している)、しかもそのような現象が花街で起きていたとされたことが、武智鉄二的なエロスの問題とも関わっていると推察されますが、

(そして雑多な由来が「悪所」で強い様式に結実したという意味で、井上流は、アンダルシアにおけるフラメンコと似ているようにも思われますが、)

どうやら、そのように流派の位置づけを整理して捉える見方は、三世井上八千代(ハル/春子)とその孫、片山博通(四世家元(愛子)の夫)が情報源であったらしい。

そして最後まで読むと、そのような、他の流派との差異を際立たせる言説を丹念に読み解く作業の向こう側に、徳川期のいわゆる日本舞踊を成立させた大きな背景・前提としての歌舞伎の存在が見えてくる。

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな