河村尚子

日本のクラシックは「若手の登竜門」が国内にも国外にもやたらとたくさんあって(←ただし国外は自分たちで運営しているわけではなく、勝手に「登竜門」認定してそこでの好成績を派手に報じる形)、そこを過ぎて中堅・中年になると、急に何もなくなってしまう。まるで30代で引退するアスリートのような扱い。ここからが面白いのにね。

自覚的にそうしているわけではないかもしれないけれど、指揮者も日本の人を常任に迎えるし、関西のほうが関東より中堅・中年に多少は手厚い巡り合わせになっている気がしないではない。(東京さんが関西を格下扱いしてくださっているお陰かもしれませんが(笑)、それでいい人に来てもらえるなら結構。大上段に構えて「音楽産業」を一刀両断しても、科挙の出世街道を外れた地方役人の大げさな漢詩のようなものにしかなるまい。いきなり「天道」とか言われてもねえ……。)

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ゲヴァントハウスと共演した大先輩・五嶋みどり様を皮切りに、河村尚子とか、庄司紗矢香とか、この春は、もう新人枠ではないだろうという方々を次々聴くことになって、

コンチェルト(兵庫芸文)と室内楽(フェニックスホール)をやった河村尚子は、かっこいいお姉さんだった。

ブラームスのほうが、ひと頃よく弾いていたシューマン、ショパンより断然いい。

最近ベートーヴェンと上手につきあっている小菅優のような人は、作品・作曲家ごとにアプローチを器用に切り替えることができて、音楽家としては、案外、「我がゆるい」(そんな言葉はないが)のかもしれない。無節操という意味ではないが、ステージ・パフォーマー気質。「ちゃん付け」で寄ってくるおばさまとも、シュナーベルを聴きなさいと説教するオジサンとも話を合わせながら、本番ではベートーヴェンを立派に弾く。

河村尚子は、自分のスタイルがあって、どういうものが合うか、探しながら色々弾いているように見える。「初期ロマン派は私には役不足だ」などという不適なことを音楽家が言葉にするはずはないけれど、それくらいでいいんじゃないかとも思う。

ブラームスになると、さっきまでファリャやベートーヴェンでブイブイ言わしていたチェリストがピアノの掌の上で遊んでる子どもに見える。その器の大きい感じが、メチャかっこいい。コンチェルトもそうでしたが、大きいフレーズがくっきり浮かび上がるのが立派ですね。