メトのライブビューイング、いい演出でしたね。
終幕で、周りがプリンスの帰還を歓迎しているのに、戦場で人が変わってしまったイーゴリ自身は心ここにあらずで、いわば世界(との関係)が壊れてしまう。
ボロディンの楽譜が不完全で断片しか残っていない状態であることをうまく活かすアイデアだと思いました。
オリジナルの資料は部分的には台本だけが残っているだけだったりして、スムーズにつなぎようがないらしい。おそらく、無理矢理スムーズにつなげてしまうと(ムソルグスキーのオペラやトゥーランドットなどの作者の死後の別人による補作がしばしばそうであるように)「ウソ」になる危険がつきまとう。だったら発想を切り替えよう、音楽がつぎはぎだらけで断点があちこちにできてしまうんだったら、隠してもしょうがない、そのズタボロ状態をドラマに利用してしまおう、というわけですね。
異化やモンタージュといった手法を開拓してきた20世紀の演劇の流れを踏まえていれば当然出てくる、まっとうなアイデアだと思います。
前宣伝では、ポピー・ガーデンのところばっかり強調されていたので、どんな舞台になるのか心配だったのですが、ふたを開けてみれば素晴らしい。
鐘の代わりに鉄パイプ、というのもいいですね。
「鐘」は演者が鳴らすふりをすることしかできないけれど、鉄パイプは舞台上で演者が本当にガンガン鳴らすことができるから迫力が違う。群衆が舞台にひしめくなかでイーゴリが鉄パイプを振り回すと、マジで危なっかしくハラハラさせられます。そして危なっかしい手つきで、それでも自らガンガン音を鳴らすことは、彼自身と彼の国の再出発への希望に思える。
グドーク弾きの二人も、前回のルサルカでの森番とコック見習いに似たコメディ・リリーフとしてキャラが立っている。
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それにしても、こういう演目がニューヨークで盛り上がるというのは、新大陸が台頭した20世紀に続いて、21世紀はユーラシア(北はロシア、南は中東からインドへ)の時代になるのかなあ、と思ってしまう。
そら、国技の最高位をモンゴルの皆さんが占めるはずですわ。あのあたりの人ら、なんかめちゃくちゃヴァイタリティありそうやもん。
少なくとも、ロシアや東欧の人たちにしてみれば、ついこの間まで暗黒時代や内線があったし、地域によっては今もそれが続いているのだから、「今」は「戦後」なんですね。現在を昭和前期(戦争へなだれこんだ時代)と重ね合わせたくて仕方がない雰囲気があるニッポンの映画館で、舞台上に紛争後の廃墟のような光景を見せられると、ハッとします。ああそうか、と我に返る感じ。
わたくし、知的な役を演じた往年のニコール・キッドマンが大好きなのですが(わかりやすい男ですみません)、90年代といえば、旧ユーゴの内線ですよね、たとえば。
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極東のわたしらが、今頃「リセット/維新/普通に戦争ができる国」とか言うのは、世界の趨勢から10年以上遅れている。既にフラットになってしまった世の中をどう再建するか、そういう話をするのが、今現在の「スーパーにグローバル」なのかもしれませんね。