ソリストへのケアの倫理

絆がキーワードになっている昨今、ひとつの潮流として「ケアの倫理学」という言い方があるらしい。

誰にとっても無縁ではいられない具体例としては、老人介護と子育てですね。老巨匠の傍らに、スクスクと育った若手奏者がつきそう図は、その意味で、ちょっとメッセージが強すぎるくらいにアップ・ツー・デートである、とひとまず言える。

でも、メッセージが「強すぎる」ときには、脳内アラームを念のために一度鳴らしておいたほうがいいかもしれない。このタイミングで「アラームが鳴る」かどうかは、勘と経験による、としか言いようがないけどね。

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  • 「ソリストを育てる」は人間の成長に数十年の長い時間がかかる営みであり、そのなかの「印象的な瞬間」だけを切り取ってクローズアップするのは非常に危険である。

というのが一点。

ソリスト育成に興味津々、どうやって「若き才能」が出てくるのか、その成り行きをいつも見守っていたい、できればそういう仕事をしたい、というのであれば、入り口から出口まで、一度はトータルに眺めてみることをお薦めしたい。

たとえば近所の音楽教室や音楽学校では、必ず何らかの成果披露の催しを一般に公開しているはずです。そこからはじまって、ワールドツアー達成までには随分と手間がかかっています。(ちなみに、コパちゃんは、スイスの音大へ入った時点でぶっとんだ存在だったらしいことを同じ学校にいた大井浩明に目撃されていたらしいので、彼女と日本、関西との縁は妙に古い。)

中東欧音楽の回路―ロマ・クレズマー・20世紀の前衛

中東欧音楽の回路―ロマ・クレズマー・20世紀の前衛

そのあたりの話はこの本に書いてあるし、もし、コパちゃんを日本に「売る」立役者がいたとしたら、最初に日本へ来たころからバックグラウンドで関与している伊東信宏もその一人だった、みたいなことになるんじゃないか。

[で、さらに言うと、お客様に音楽家をプレゼンテーションする場(の経営)というのは、一連の人材育成プロセスのなかでは、音楽家を目指して人がスタートを切る「源流」から見ると、ずいぶん遠く離れた「川下」、いわば、おいしい水が湧く六甲山頂からずっと下の神戸湾みたいな位置になる。だからこそ長い経過を経て、濾過・厳選されたいいものを出せるわけだが、本当に品質に問題がないか、自己診断できるために、教育の現場に携わる人や経験豊富な音楽家などからアドバイスを受けているはず。どの「川」や「港」に何があるか、という横の連携・競合だけでなく、この川の上流がどうなっているか、という縦のルートも同時に見通してくれているはず、という信頼で、わたしらは川下に安心して暮らすことができるわけだ。]

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そして、

  • 介護や子育てでしばしば言われるように、特定の個人等に過剰な負荷がかかる形はリスクが大きい。

というのがもうひとつのポイントかと思う。

このテーマで一番大切なことは、リスクの分散ということであるはずで、つまり、特定の誰か・どこかでやっていればいいことではなく、だれもが何らかの形で関わることだと周知・啓蒙されるべき性質の案件だと思われる。

ケアを「する」のが特定の個人や集団だけになってしまうのも問題だが、ケアを「される」対象が不当に狭く限定されるのも問題だろう、ということ。

ケアを「する」のが特定の個人・集団だけになってしまうと、関係が太くなりすぎる強依存の危険がある。

ケアを「される」対象が不当に狭く限定されるのは、端的に不均衡な状態と言わざるをえない。

[先ほどの川の比喩で言えば、特定の水源に人が集中すると、水が枯れたり、濁ったりするリスクが大きくなる。そこを見通しを立てて、どうハンドリングするか。水源や河川・港湾管理者だけの問題ではなかろう、という話に相当する。]

強依存と不均衡をいかに回避するか、というのが、おそらく、ケアの永遠の課題かと思われます。

まとめると、

強依存と不均衡がときとして起きてしまうのは折り込み済みじゃないと、ケアはできないのだけれど、だからこそ、ケアの担い手自らが、強依存や不均衡を助長するような振る舞いに出てしまいそうになる時には、やっぱり「脳内アラーム」が鳴らなきゃウソだ。そこのセキュリティを解除してはダメだと思う。

(私は、アンコールのソロをその傍らに椅子もってきて聴く、というのは、もし演出だったのだとしたら、やり過ぎだと思う。そういう「絵」を作らないと800人の客席にはメッセージが伝わらないかもしれないので、判断が難しいとは思うし、別の意見があり得るとは思うけれど。)

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さて、そしておそらく、ケアを経済へ組み入れるのは、短期的・局所的には共依存と不均衡を助長する副作用があるだろうけれども、長期的には他のアイデアより少なく悪いんじゃないか、という予測が前提なのだと思う。

まあ、おおむね、その予測でいけるんじゃないのかなあ、と思わないことはないけれど、決して、成功が約束されているわけではないので、仕事として取り組むのであれば、備えは万全じゃないとね。

ソリストを育てるのは、競馬の予想とか、アイドルの総選挙じゃないので(笑)。

[再掲]

フロイトの精神分析はどうしたって患者が医者に依存・転移してしまうけれど、でも、有料の治療で金を払う・受け取ることで後腐れのない関係になっている。だからいいんだ、と柄谷行人が座談で言っているのを読んで、記憶に残って、ことあるごとに思い出す。(新年度で学校が始まったり、お金関係がリスタートする時期には特に。)

借りたものは返す、貸したものはきっちり回収する - 仕事の日記(はてな)

経済のメカニズムは、特定のものへの選択と集中を促す力をもつのみならず、有限な資源をどう配分するか、ということでもあり、のめり込みすぎを防止する作用をもつ。お金は、「稼ぐ/払う」の循環で世界を活性化すると同時に、「どれくらいあるのか勘定する」ことによって、資源が無尽蔵でないことを悟る契機でもある。