つけたし

[追記あり]

あちこち、目立つところでピッチやバランスが整わない箇所をそのままにして本番を迎えなければならない、という状態がなぜ生じたのだろう。いつもはこんなことはないのに、と考えたら、稽古が相当バタついたのだろうと想像するのが自然でしょう。

また、あるパート(声部)が、どう弾いたら良いのか無表情で戸惑った感じなのに放置されていて、その反面、どうしてそうするのか理由がよくわからないやり方で特定のパートが強調されていたりするので、チグハグな印象を受けてしまう。プレイヤーが勝手にそんなことをやるはずがないので、指揮者の稽古や指示が独特だったのだろうと思わざるを得ない。

わたくしは、順にこういったことをひとつずつチェックしたうえで、この演奏についての感想をまとめさせていただいております。

そういった個々の細部が気にならない/細部を気にしない聴き方で音楽を楽しむ方もいらっしゃるでしょうし、だから、世の中は広いと申し上げたわけです。

わたくし、何か変なことを書いておりますでしょうか?

自分と違う意見を持った人間に遭遇したからといって、いきなり、けんか腰になられては困ります。

いろいろな意見を出し合って、どこがどうであったか、具体的にチェックし直しながら、それぞれの考えを深めていけばいいじゃないですか。誰かが一方的に正しい、誰かに一方的に従うべきだ、という性質のものではないのですから。

わたくしは、

「そこまで言わなくても……」と思う人は、27日にNHK-FMで先日のペトルーシュカの放送があるらしいので、何か誉めるところを見つけようとするのは、それと聴き比べてからのほうがいいんじゃないだろうか。

と書いて、具体的にものの見方を広げる手立ての提案もさせていただいていたはずですが、どうして、それほど性急に物事を進めて、自分とは異なる意見を瞬時にやりこめようとされるのでしょうか? あれは何だったのだろう、と時間をかけてじっくり考える、そういう音楽とのつきあい方をしてはいけない理由がどこかにあるのでしょうか?

就任披露、というのは、これから何かがはじまるスタートラインに立ったばかり、ということでしょう。

出会い頭にガツンと1発殴って、その後の物事を優位に進める、とか、音楽は、そんな短期決戦のケンカ道なのでしょうか。私は違うと思います。

最初は色々うまくいかないところがあったけれど、ひとつずつ改善して最後には何らかの結果を出す。世の中には、そういう事例がいくらでもあるじゃないですか。うまくいっていないところを、まあこんなもんじゃないか、と言いくるめるよりも、そのほうがよっぽと生産的だし、そのほうが、無理を重ねて不幸になる人は少ないんじゃないですか。

多少の波があっても一緒に乗り越えていこう、そういう信頼関係を特定の個人と結ぶのが常任契約というものなんじゃないんですか。信頼のバックボーンがあることで、一発勝負では乗り越えられない壁も、もしかしたら乗り越えられるかもしれない。だったら、まず、どこに問題があるか、しっかり見極めなきゃ話は先へ進まないでしょう。

指揮者の50歳なんて、まだこれからです。前の日には、60歳で何かをつかんだ高関健が同じホールでいい演奏をしていましたよ。人は変わる。音楽家というのは、その姿を刻々と人前にさらして生きていく商売じゃないですか。

[追記]

関西で一二を争う実力派のオーケストラの節目の大事な演奏がこの程度でいいのか、というのがひとつ。

一方で現実的に考えたときに、この指揮者がハッタリの効かない古典的なレパートリーでこれまであまり説得力のある演奏をしてこなかったという事実があり、今回は、大きなポストを得たので、根性決めて、今度こその挑戦だったわけでしょう。

先のマーラーで、音楽家としては結構きまじめな人らしいこともわかっていますから、

これからやれるだけのことをやればいいじゃないですか。

課題がはっきりしたほうが、応援のしがいがある、というものでしょう。応援したい人にとっても。