拡大解釈

大学がたくさんあって、教員がたくさん必要になると、なかには、教える側にも引用・盗作・(アイデアの?)模倣・丸写しの区別がついていない人が出てくる。そしてたぶんこれは、昨日今日のことではない。

それらの区別を曖昧にする言葉を辞書登録しても、実態は変わらないと思う。

それとも、国立の国語研究所か何かが「コピペ」という言葉の「意味の変化」にお墨付きを与えると、巡り巡って、文科省が各大学に「引用等の適切な取り扱い」を指導することが難しくなって、現場が少しは平和になるのだろうか。

話は遠そうだよねえ……。

組織なんだから、目に余るものは処分されてしまうだろうが、線引きは原理的ではありえないから、個々に当事者が闘うしか、しょうがないところもありそう。

大学教員なんて、所詮この程度のもんじゃ、とどこかのタイミングで開き直る選択肢も確保しつつ……、この人のこの発言はNG。あの人は、ああ言っているけど、彼の業務はこういうもので、そこに支障はなさそうだから、今回は大目にみよう、とか。色々派手に言うてるけど、あの人あと2年で定年やから、好きにさせとき、とか、となるわけですやん。

そしてそういう闘いで役に立つ(言葉の)武器を提供するほうが、喜ばれるんとちゃうやろか。

「あの騒ぎはいったい何だったのか」と振り返って総括するのは、そのあとかもしれない。

数学ガール (数学ガールシリーズ 1)

数学ガール (数学ガールシリーズ 1)

無限に続く数列をどう扱うか。オイラーがバーゼル問題を解いた、というのは対位法の複雑な課題を実施するように美しい手順に見えるけれど(数学は詩のように美しい、と言う人が出てきそう、というかそういう数学啓蒙書ってそれなりに読まれ続けてますよね)、でも一方、不等式を数学的帰納法で証明するのは、「イコールで結ぶことのできる正確な答えは、それがあるのかどうかすら今はわからないが、とりあえず、答えがここら辺なのだろうというところまでは言える」と当たりを付けているわけで、「だいたいこんなもんやろ」を厳密に言おうとする散文的な論法が面白いね。有限の人生には、そういう対応も要るようだ。

で、そういう「事務」を特定の部署に全部まかせて高邁な議論ばっかりやってると、書記長の独裁スターリン、みたいな怖い人工国家が構築されてしまったりするわけだ。

素数の音楽 (新潮文庫)

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その先に出てくるリーマン予想は、まだ解けてないらしいですし、答えがひとつに決まらなくてすっきりしない状態に多少は慣れておいたほうが、少なく悪い人生になるようだ。