老年に向けて:バイエルン人とあべのハルカス

リヒャルト・シュトラウス (作曲家 人と作品)

リヒャルト・シュトラウス (作曲家 人と作品)

現役音楽学者が最新の研究動向をコツコツ調べて、従来の日本語による音楽家の伝記をアップデートするのが、このシリーズ(立ち上げ時は現アルテスの木村元が担当していたらしい)の特徴だと思うのだけれど、

(このシリーズが出る前の音楽之友社の伝記はドイツで70年代終わり頃に出た薄い啓蒙書の翻訳だったから、久々の日本人音楽学者による書き下ろしで、いわば、音楽学者を音楽業界へプロモートする意味合いがあったように思う)

でも、岡田暁生を抜擢したら、本人も「俺はシュトラウス学者じゃない」と言っているのだし、良くも悪くも毛色の違うものになる。

まあ、それは読む前からわかっていることで、

「チマチマ細かいことばっか言ってんじゃねえよ」とご不満のオールドファン(なのか?)、もしくは、旧帝大美学系の教養としてのゲージツを守る会(仮称)的な方々に受ける本になるのだろうと予想できる。

[実際には、いつもおなじみの「スケールのでかい」ハッタリめいた話より、著者が久々にひとつひとつの作品を語る機会を得たことが重要だとは思うけれど。だって、彼が作品解説を書かなくなって久しいですから……。]

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そんなことより、

同じ話が何度も繰り返し出てくるのは、編集者が大学時代の恩師(に当たるらしい)の原稿に赤を入れられなかったのか、著者が原稿を直さないでぶっちぎる人なのか……。

結果的に、ネタが足りないから使い回しているの?と読者に思われて著者が損をするわけだから、もうあと一押し編集してから出してほしかったかも、と思う。音楽之友社の楽書は、手堅く作って細く長く売るのが基本のはずなので……。

シュトラウスは作品を「商品」としてクールに捉えることのできる人だったという話が出てくるが、岡田暁生というのは、名前で本が売れる「商品」なのだろうから大事にしたい。

敬老精神。

(シュトラウスにとって家族とは何であったか、パウリーネとはどのような女性であったのか。そこが一番面白い、というか、そこが、これまで著者が扱ったことがなく、一番気を遣って書いているトピックのような気がする。

著者が描くリヒャルト・シュトラウスは、時代の激変のなかにいたと言っても、そこへ本当に介入した/できたのはウィルヘルム2世のベルリンにいた20年くらい、「サロメ」から「ナクソス」の間だけで、あとは、ミュンヘンのパパが大物であるようなコミュニティとか、カペルマイスターの人脈で動くドイツ指揮者界とか、原則として小さなお互いの顔が見える人間関係のなかを動いているんですよね。

で、それは資料から浮かび上がる像というより、オレのシュトラウスはこうだ、と著者の思いが強くにじんだ半ば自画像のようなものになっている。京都人が「セカイ」へ介入するのは壮年期の20年だけで、震災・原発事故のあとは、もう東日本と積極的に関わる理由を見いだせない、とか、そんな感じなのであろう。)

世界戦争 (現代の起点 第一次世界大戦 第1巻)

世界戦争 (現代の起点 第一次世界大戦 第1巻)

あとは、京大教授たるもの、こういう風に岩波の叢書の編者に名を連ねたりして余生を過ごすわけだ。

R.シュトラウス: ヨゼフ伝説(バレエ・パントマイム)op.63 (Richard Strauss : Die Josephs-Legende (The Legend of Joseph) / Robert Heger, Orchester der Bayerischen Staatsoper Munchen) [輸入盤]

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  • アーティスト: R.シュトラウス,ロベルト・ヘーガー,バイエルン国立歌劇場管弦楽団
  • 出版社/メーカー: Acanta
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: CD
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折しもN響がヨゼフの伝説をやったらしいが、あれって音楽はゴージャスだけれど、バレエ・リュスの演目のなかでは浮いてるよね。「セカイ」におけるシュトラウスのポジションは結局このあたりだった、というのがわかる作品だと思う。ドイツのコミュニティのなかでの立ち回りは見事なものだったとしても……。これをロンドンで観た大田黒元雄はツマランと書いている。

あべのハルカスが難波・天王寺〜奈良〜伊勢ラインを押さえる「河内の覇者」近鉄グループの大事業であったとしても、関東から見たら(というよりキタの阪急文化圏から見たときですら)、なんじゃこれ、と思われかねないようなものなのと似ている。(近鉄沿線は生駒まで平野がずっと続いているので、ハルカスは遠くからでもよく見えるシンボルの意味がありそうなんですけどね。つまりあれは、数値としての高さではなく、河内平野という周囲の地形ゆえに意味をもつ建造物だと思う。富田林のPL教団の塔や夏の花火が河内一円から見える、そういう地形から出た発想でしょう。たぶんあの高層ビルは、関空のある泉州とか、キタのビジネス街のほうを向いていない。)

同様に、音楽之友社の伝記シリーズのなかに並ぶことで「音楽学者としての彼」のありようが他との比較で見えちゃったりするんじゃなかろうか。