学生に問いかける、という教師の試練

事前に授業の準備をするときに、どう質問したらいいリアクションが得られるか、あれこれ工夫する、というところからはじまって、講義のなかに学生への質問を混ぜるのは結構なリスクを伴うわけだが、

別に誰かに教わったわけではないけれど、私は、学生に質問する、というゲームを教室内ではじめてしまったときには、学生から答えが出るまでこのゲームを絶対に止めないなあ、ということにさっき気がついた。

どうしても答えが出てこないときは質問のしかたを変えたり、どんどんハードルを下げるようにヒントを出したり、色々やるけれど、自分で答えちゃう、というのは、ないわ。

答えが出てきそうかどうかって、なんとなく場の空気でわかりますやん(そうでもないのかな)。で、無理っぽい気配を感じたら、最初から質問しない。

で、学生さんのほうもこっちの本気度を探っているに違いないので、答えを言わなくても時間が通り過ぎそうな気配を出してしまったら、これはもう教師の負け、なのだろうと思う。

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なんでこういう風に考えるようになったのかなあ、と思い返すと、アマチュア吹奏楽の指揮をするときの心構えと似ているかもしれない。

指揮者が練習を進めてプレイヤーにあれこれリクエストを出すのは、授業で言えば教師が学生に質問を投げかけるのに似ているわけだが、教室における教師と違って、指揮者は自分で音を出すことができない。つまり、自分が投げかけた質問に自分で答える、という緊急避難的な幕の引き方が、指揮者とプレイヤーの間では不可能なんですよね。

だから、プレイヤーがやろうど努力することに意味があって、なおかつ、やればできることを見極めてリクエストをださなきゃいけない。

あれは良い経験で、色々鍛えられたような気がする。

「バロック時代といえばルイ14世が音楽史でも重要でね」

みたいなところからはじまって、ひとしきり派手派手しい映像や音楽を見ていただいたあとで、

「ところで、こういうの、高校の世界史で何と言ったっけ。漢字四文字で、なんか言葉があったでしょ」

みたいに学生に振ると、さすがに何か思い当たるようで、そのうち、答えが出てきますよ。

どうしても出てこないときは、

「あったでしょうほら、ヘッハイホーヘーみたいな……」

とか、ほぼ答えそのままのヒントを出したりもしますが、やっぱりこれは、学生から答えが出ないと盛り上がらないわけですよ。

絶対王政って、妙にインパクトがある言葉だし、中身がわかってなくても、ハッタリが効いた語感を思い出すだけでも、ああバロックってこの感じか、みたいになる。

で、改めて「王宮の花火の音楽」をドーンと鳴らして、なるほど、みたいな気になってくれたら、これで、次回のオペラの誕生、モンテヴェルディの「オルフェオ」(あの華々しいシンフォニア)の話にうまくつながるし、バロック=バッハ=小難しいフーガ、みたいな暗いイメージも一掃できて、人生ハッピーじゃないですか(笑)。

[力づくで話を面白いほうへ持っていく感じが、そのうち時代遅れになるだろうから、別のパターンも身につけなければとは思っていますが。]