映画のようなオペラ、二人三脚の成果物

亡命ユダヤ人の映画音楽―20世紀ドイツ音楽からハリウッド、東ドイツへの軌跡

亡命ユダヤ人の映画音楽―20世紀ドイツ音楽からハリウッド、東ドイツへの軌跡

「死の都」を観て、わたくし以下のように感想を書きましたが、

このオペラは、異常なくらい言葉と音楽が密着しているんですね。「洪水」という言葉が出ると、さっと、それらしい音になる等々。

コルンゴルトというゴースト - 仕事の日記(はてな)

岡田暁生のところにいた人が、ほぼ同じような視点でこのオペラを分析していた。

あっちこっちに、岡田暁生から教わったことを頑張って咀嚼しようとしたのであろう苦労の痕跡があって、足取りは時々たどたどしくなるけれど……、一度は誰かが指摘しておくべきことが色々書かれている本だと思った。

「あとがき」と著者略歴から察するに、彼の神戸大時代の最後の頃、『西洋音楽史』が出た頃のお弟子さんのようですね。20歳前後でアレに遭遇するとどういうことになるかは、他人事でなくわかる。壮大な音楽観をインストールされ、その魅力に取り憑かれてしまうと、何の話をするにしても、大がかりな見取り図から説き起こさないと気が済まなくなるんですよね。

巨大なものにがんじがらめになって、でも、パウルのように夢から現実へ自分を連れ出そうとする存在を絞め殺すわけでもなく、あるいは、死の都から旅立つわけでもなく、著者はゴールまでたどりついた。

しかし、157頁の写真は衝撃的だ。映画「シー・ホーク」の録音に立ち会って、息子が書いたスコアを熱心に読むパパ、ユリウスが写っている。やっぱ思った通り、コルンゴルトは一卵性父子じゃん。

進歩的であったが、息子の楽才を見出してからは、言動に身贔屓が目立つようになり、また新ウィーン楽派を攻撃するなど保守化して、自ら威信を失墜させた(後にマーラーに対する評価も変えたと言われる)。「コルンゴルトのピアノ・ソナタを弾こうとしているピアニストに、ある人が尋ねた。『それはいい曲なのですか?』ピアニストは答えた。『いいえ。でも、(弾けば)親父さんが喜びますから』」といったアネクドートが残されている。

ユリウス・コルンゴルト - Wikipedia

モーツァルト家のキャリア教育──18世紀の教育パパ、天才音楽家を育てる

モーツァルト家のキャリア教育──18世紀の教育パパ、天才音楽家を育てる

タイトルは、有名人に子育てを学ぶ本のノリだが、中身は、ありそうでなかったレオポルト・モーツァルト論。こんな感じに、音楽評論家ユリウス・コルンゴルト(1860-1945)の生涯を綴る本があっていいかも、と思う。

あと、この話は、「ポストコロニアリズム」で「カルチュラル・スタディーズ」な視点を入れなきゃいけない感じの当世だから亡命ユダヤ人という括りになっているけれど、18世紀のテレマンやバッハの頃からハイドン、ベートーヴェンを経てワーグナーへとずっと続く「ドイツ音楽の輸出」ならびに「ドイツ人音楽家の海外進出」とでも言うべき潮流の一例と見ることができるかもしれませんね。既に19世紀にはフランスや英国にたくさんのドイツ人音楽家が行ったし、ワーグナーの出現でドイツは音楽における輸出超過の黒字国になり、20世紀の政治状況が米国への輸出を加速した、みたいな。