プロ? 実務家とトラブルメーカーの話

2014年現在の日本亡国論は、子どもの学校の成績が80点から71点に下がったことを「転落」として大騒ぎするのに似ている。「優」と「良」の差はたかだか9点なのに、そんなことでオトナたちが仕事そっちのけで口角泡飛ばす議論とは、いったい何がやりたいのか。

……という話はさておき、実務的に考えよう。

様々な案件があっちこっちから舞い込んでくる立場の人間が、単にいろいろな仕事を抱え、それに付随する情報をそれなりに持っている状態であるとしても、それだけで「プロ」と呼ばれることはない。

その人は、ひとまず「当事者」である、と呼ぶのが適切であろう。言葉は正確に使い分けたい。

さてそして「当事者」には、おおまかに2つのタイプがいる。

タイプ1: Aさん、Bさん、Cさんからそれぞれ別の事案を持ち込まれたので、それぞれをその都度可能な範囲で個別に処理する。三者に共通することがあったり、お互いを関連づけたりする必要が生じた場合の備えは、Aさん、Bさん、Cさんのあずかり知らないところで事前に業務フローが用意されているわけだが、それこそがこの仕事を担当する私の「売り」なので、そこは簡単には公開しない。業務マネジメントの企業秘密というやつだ。

タイプ2: Aさんから来た仕事をそこだけでは完結できなかったので、たまたま他の案件で来たBさんをこれに巻き込むことにする。そうすると、事案が単に足して2倍になるどころか、2×2の4倍くらいにふくれあがって、これはもう、さらに別の大口で一緒に仕事をしているCさんを頼るしかないな、ということになる。そうすると、Cさんが知り合いのDさんを連れてきて、さらにDさんの知り合いの知り合いのEさんが、今たまたま日本にいるから、というのでそこにも話を訊きに行き……。

長らく、「仕事ができる奴」「プロ」の語は、タイプ1を指すものとされてきた。

まあ、今でも一般的にはそうなのだが、

この国では、「未曾有」とされる事件をきっかけにして、「絆」とか「つながり」が叫ばれるなかで、いかにも「未曾有」な感じ、「絆」や「つながり」のエキスパートである感じ(あくまで「感じ」に過ぎないのだが)を演出するために、タイプ2をもてはやすのがプチ・ブームになった。(局所的に、主に東京の大手メディアでの話みたいだけどね。)

これがおよそ3年続いた。

で、しかし実際そうやって騒動を大きくしてみると、案の定、どさくさ紛れに色々ややこしいことも起きた(よね)。

そうなると、まあ、潮目が変わると考えるのが妥当だろう。

自分のケツを自分で拭くことのできる人間(タイプ1)は誰で、それができない人間(タイプ2)は誰なのか。今度は、やや過剰なくらい、そのあたりの見極め・監視の動きが強まるのは、まあ、しょうがないだろうと思う。

で、本当に大きな問題と、小さく分割可能な問題をきれいに仕分けしないと、話が先へ進まないわけだが、その場合、「本当に大きな問題」が仮にあったとして、そのプレゼンテーションの方法が、「未曾有」や「絆」がブームだった頃とは違ってくるはずなんだよ。

今、騒ぎを大きくする「タイプ2」の手法をぶち上げようとしても、世間はたぶん、聞いてくれないと思う。「まだ、そんな手法が通用すると思っているのか」とオオカミ少年扱いされるのがオチだ。

じゃあ、どうすればいいのかって?

そこを考えて、しかるべく動くのが「プロ」でしょう。

というか、「プロ」は、カミナリ族(←あえて死語)みたいに路上でイキって空ぶかし、とかしないで、さっさと仕事しとるで。