誘惑に負ける

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

  • アーティスト: パトリシア・コパチンスカヤ,ベートーヴェン,フィリップ・ヘレヴェッヘ,シャンゼリゼ管弦楽団
  • 出版社/メーカー: エイベックス・エンタテインメント
  • 発売日: 2009/10/21
  • メディア: CD
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実演を聴いたあとで昔のCDを買うのは、「負け」を認める感じなのは否めない(笑)。

まして、ジャケット表紙のこの写真は思いっきり狙ってるわけじゃないですか。つぶらな瞳の先に彼女は何を見ているのか? その姿を下から狙うカメラのアングル。

大昔、ベートーヴェンが「楽聖」だった頃には、重厚なオーケストラを従えて、一軍の将、元帥閣下のような風情でこの曲を演奏したレコードがあったような気がするのですが、でも実演に接すると、現実のヴァイオリンが駒を高くして張りの強い弦にモダンの弓で弾いたとしても到底そんな風にはなり得ないことがわかるわけで、偉大なるベートーヴェンが書いた、ピアノにおける「皇帝」に匹敵する大協奏曲だ、みたいなイメージは、ほぼ20世紀の名曲名盤レコード文化が生み出し、拡散した幻想なわけですよね。

で、若い女性ヴァイオリニストがそういうオッサン臭い手垢の付いたのとは違うアプローチでベートーヴェンを弾きます、というのも、アリといえばアリなのだけれども、そういう種類のアンチもまた、今では既視感があって、それだけではなあ、と思う。

ピリオド・アプローチは、そんなすれっからし向けの最新商品で、それがこういうジャケットになるあたり、クラシック業界が屈折しているようでもあり、難しいこと言ってる割には免疫がなくて誘惑に弱いトホホな人種の吹きだまりだということのようにも思う。

ま、とりあえず理屈や言い訳は何であれ、買わせてしまえば、CDをプレイヤーにセットさせてしまえばこっちのものだ、ということなんでしょうな。

人魚がきれいな歌声で船乗りをおびきよせて、ピラニアみたいに噛みついて男を喰っちゃう話が「パイレーツ・オブ・カリビアン」で現役のエンターテインメントとして成立するわけですから、ヴァイオリニストがそれをやって何の恥じることがあるものか。

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しかし、コパチンスカヤがカデンツァで分身の術を使って2人になっちゃうのは、事前情報として知って聴いてもびっくりしますね。クレメンティの依頼で作成したピアノ協奏曲版のカデンツァを使ったんだという風にいちおう筋の通った説明ができるようにはなっているわけですけれど、それでも一瞬何が起きたのかわからないし、そのあとのティンパニも実はコパちゃんが叩いているんじゃないかと思ってしまう。

というより、「コパチンスカヤは2人になったり3人になったりすることができて、ヴァイオリンでティンパニの音が出せる魔法使いなんだ」と真顔で周囲に言いふらすのが、このディスクを聴いた人間の正しい振る舞い方なのかもしれぬ。(検証を依頼された山梨の教授が見事に騙されて、「彼女が3人に分身したと考えなければ説明のつかない現象が起きている」とコメントしたとしても仕方があるまい。←時事ネタ)

視覚情報から遮断されて音を出している者の姿が見えない一方、音・聴覚情報に関しては欲望のおもむくままに何でも出来る「録音」という世界は、今も魔物が棲んでおる、ということですね。

2楽章のしっとりした音楽をチャラにしてちゃぶ台をひっくり返すようなカデンツァのあとに出てくる3楽章の主題は、めちゃめちゃイケメンな「男前」で、何が起きたのかアタフタしてしまうではないか。

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でも、2つのロマンスを聴いていると、なるほど、ベートーヴェンは自分が貴族と対等な人間だと思っていたんだから、ビーダーマイヤーな市民の箱入り娘など見向きもしないで、こんな感じに「飛んでる」女性に次々アタックして撃沈していたのかもしれないなあ、などと、わけのわからない妄想が浮かぶ。