前衛の源流

一部で話についてこれない人がいるようなので簡単に補足するが、ベートーヴェンの後期ソナタというのは、そこで終わり、行き止まりではなくて、この先に後期弦楽四重奏があるわけです。ハンマークラヴィアは、ピアノだけ見ていると到達点だけれど、書いた本人にはまだ先があった。ここは「入り口」に過ぎないとも言えるのですよ。

で、後期弦楽四重奏は、今どきの優秀すぎる若者たちが取り組んでいるカルテットのコンクールでしばしば課題曲になるわけだが、

小菅優の今の演奏は、Aクラスの室内楽コンクールでテープ審査を通過して1週間の予選に招かれる10団体に余裕で入ると思うけれど、でも、予選のどこかで落ちると思う。弦楽四重奏の世界では、この「入り口」の先に何があるのか、相当に研究されているから、これでは持ちこたえられないと思う。

でも、この「入り口」にすら立てない人がたくさんいるわけですから、全曲演奏への最初のチャレンジとしては、まずまずなのではないかとも思う。

「善戦だったね」はそういう意味です。

(3年に一度の国際コンクールをやったばかりの、しかも同じ会場での演奏会なのだから、それくらい気付けよ(笑)。)

さて、それじゃあ、一群のソナタが何の「入り口」かというと、弦楽四重奏の主要レパートリーがそういうことになっているように、シェーンベルクとかバルトークとかリゲティが出てくるむき出しの前衛音楽の入り口ですよ。

(そして室内楽の秀才たちのさらに先には、そんな凶暴なアヴァンギャルドをペットのワンチャンのように手なずけてしまう魔界の住人、コパチンスカヤみたいのが棲んでるわけですよ。)

大久保賢は、もう前衛音楽に嫌気が差していて、できることならそんなものはなかったことしたいと願う歴史修正主義に心が傾いているから、「入り口」で躊躇している姿に、もうそれでいいよ、正直な戸惑いがよく現れているから、もうこれで百点満点。その先は、人間が足を踏み入れるところじゃないから戻っておいで、と言う。

私は、既に書かれてから200年経って、手順を間違わなければその先に進んでも大丈夫な状態になっているはずだから、またいつか、もう一度しっかり準備してこの場所へ戻って来たらいいんじゃないの。これが最初で最後、一度きりのチャレンジというわけじゃない、人生は長いのだから、と思っている。

それだけのことです。

(そして最初に戻って、小菅優が、今回は自分の一種のわがままとしてベートーヴェン全曲をやりたい、お客さんが少なくてもいい、と言ったのは、漠然とではあるだろうけれども、ハンマークラヴィアまで来たところで大変なことになることが予想できたからではないだろうか。この扉を本当に開けることができるかどうか、自分の開け方で大丈夫なのか、それは、当人にもどこまでやれるか、計画段階ではわかっていなかったのではないか。

絶対大丈夫、「ハンマークラヴィア、弾けます!」と満場のプレスを集めた会見で宣言しちゃうと、「STAP細胞はあります」の人みたいに引っ込みが付かなくなって、それこそ周りのたくさんの関係者を大変なところへひっぱりこむことになってしまうかもしれないから、そういう段取りにはしたくなかったのではないだろうか。

(きっとそうだろうな、ということだって、ベートーヴェンの後期がどういう世界かということがわかっていたら予想がつく。こういう企画は特別注意してつきあわないとダメなんです。)

そういう意味でも、この人は賢いし、立派にやっていると思います。無謀ではないやり方で、それでもフロンティアを諦めていない。)