通勤素粒子の研究

「朝の通勤の混雑」なるものについて。

最大の効率を求めて、電車の乗り継ぎ等の所要時間を最短にして、さらには、どの列車のどこに乗ると改札に近いからここがベストだ、というように日々チューンナップを重ねた結果、特定の時間の特定の車両の特定の扉のあたりに人が集中しているようだ。

乗り継ぎで歩く距離が長くなってもいいし、1本あとの電車になってもいいから、空いているこっちの車両に乗っとこう、とか、こっちの改札はメチャ混むから、後ろの改札を出てのんびり遠回りして歩こう、とかすると、殺伐とした感じなしに、朝でも割合マイペースで移動ができる。

……ということが、4月から3ヶ月の毎週月曜の「出勤」で判明した。

最大の効率が最大の幸福につながる、というのは、たぶん思い込みだ。

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あと、電車が主要駅に着くと、一斉に同じ方向に皆さんが隊列を組むかのように進むことになるわけですが、この流れに逆行して単独で歩いたり、道の反対側にある喫茶店に入るためにその隊列を横切るのは、案外難しくないこともわかった。

こっちが明確な意志をもって一人で進んでいくと、モーゼが海を開くみたいに、みなさん、よけてくれます。

あれは、決して意志を欠いた匿名・無名の「塊・連続体」ではないことが、このような反応から実証されたと言ってよいのではないだろうか。

少なくとも、阪急梅田→地下鉄御堂筋線梅田の地下道の毎週月曜朝8時30分頃に関するかぎり、通勤の隊列は、波動の性質と粒子の性質を併せ持っています(笑)。

人が歩くスピードはめちゃ速いですが、それゆえに、というべきか、車間距離(人間距離?)は追突しないようにかなり広めに取る状態で安定しており、十分に別方向から来た人間に反応できる状態になっているようです。その意味で、朝の通勤の人の列は、正月やお祭りの神社の境内のスシ詰め状態のダラダラ歩きとは、まったく様相が異なります。

むしろ、週一回、「人間は機械じゃないんだ」と実感する感動的な瞬間。さすがに「就活」で名の通った企業に採用される優秀な皆様は、朝から動きが機敏です。皮肉でもなんでもなく、そう思うです。

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おそらく、知識人が近代的な「動員」(軍隊等を含めて)について考えるときに想定すべきなのは、神社のスシ詰め状態ではなく、このような通勤の隊列、個々人が冷静で案外臨機応変な対応の余地を残しているタイプの行動であろうかと思われます。

そしてもしかすると、デモがいまいち議会内勢力に接合されない理由のひとつは、このような整然とした動員ではなく、神社のお祭り的スシ詰めでよしとしてしまうからではないか、と思ったりもするのだが、これは事実とは異なるかもしれないので、ここに妄想的平和主義の落とし穴がある、などと短絡するつもりはないけれど、「覚醒した動員」を侮ってはいけないと思う。

(ちなみに、JRの大阪駅のプラットフォームは、どういう構造上の理由によるのか知らないけれど、異常に空気が淀んで、夏は湿度が高い。だから電車を降りたら、できるだけ速くプラットフォームを脱出するのが、不快指数を高めないコツだと思う。どこをどう改築しても、あの不快感だけは変わらないみたいですね。)