サン=サーンスのある風景

大フィルで協奏曲を2つ、いずみシンフォニエッタで「動物の謝肉祭」。ひと月に3度もサン=サーンスでございました。

この作曲家については知らないことが多すぎて、正直、あまり興味がなかったのだけれど、小岩信治は、サン=サーンスをブラームスと並ぶ「教養としての音楽」路線の重要人物に位置づけている。

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

そう言われてみれば、ナポレオンの甥がグチャグチャ・グズグズにしてしまったフランス(←有名人の二世・三世が裏付けのない名声で政治をやるとロクなことがない、という教訓を忘れないために、「ボナパルティズム」という言葉がのちに作られた)を立て直して「市民を作る」のが新生フランス・第三共和政だ、という感じに一番ぴったり来る音楽家は、教養があって常識をわきまえていそうなサン=サーンスかもしれない(マザコンだったらしいけど(笑))。ナポレオン3世の第二帝政期を象徴する狂騒のフレンチ・カンカンを超スローモーションで揶揄する「ゆっくりズム」は、第三共和政下の「時事ネタ」と見るべきでしょう。

チッコリーニ、児玉桃、下野竜也、準メルクル、川島素晴。一連のサン=サーンス上演に関わった人たちは、みなさん知性派で、「当たって砕けろ」の肉体派じゃないですしね。(改めて並べると贅沢なラインナップですよ。関西のクラシック音楽、なかなか、やるじゃないか。)

チッコリーニのことは既に色々な感想が出ていますし、児玉桃のピアノ協奏曲第2番は、冒頭でいきなりはじまる長大なソロをバッハのプレリュードみたいにカッチリ、明晰に弾いて、ヴィルトゥオーソのパフォーマンスにしなかったのが、さすが。ハラハラドキドキの曲芸の幕開きではなく、音の演説・講演会です。

よくできた演説・講演会は退屈しない。それができる人のことを教養人と言ったわけだ。

お客さんの集中が切れてしまいそうな頃合いで、珍しいエジプト土産の包みを開いたり、化石の陳列棚を見せてくれたりする。そうすると、自分の昔の曲が化石に混じって置いてあったりする。西洋のインテリはこういうユーモアが好きだよね。

(刑事コロンボに出てくる西海岸の成金たちも、しばしば、こんな風な「欧米のセレブ」を演じる。おのれの知性と教養を過信して完全犯罪を狙い、転落しちゃうけど……。そんな成金の興亡を横目に見ながら幸福な人生を堂々と全うするのは、こういう呼吸なんですかね。)

古畑任三郎 COMPLETE Blu-ray BOX

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シャーロック・ホームズは大英帝国がたそがれつつあった頃合いに登場したし、コロンボは、砂漠に建造されたアメリカ消費社会の夢の工場に昔日の勢いがなくなった1970年代にユニヴァーサルが制作した。セレブや成金の「裏の顔」の検証をエンターティンメントにするのは、適切なタイミングというのがありそうですね。ニッポンの古畑は、いちおう、バブル崩壊後で「落日」感があったときだから、うまくいったと見ていいのかな。