今時“事なかれ主義”かよ、と言うなかれ

[追記あり]

取り急ぎ「創作者誤認惹起行為」を実践してみた。

「今時“事なかれ主義”を言うのはおかしい」という類の反論は、結局「中身については反論・否定できません」と告白しているのに等しい。だからそう言われた場合、臆せずに「どこがなぜどのように“事なかれ主義”なのか」を尋ねればよい。私の経験上、それにきちんと答えられる人は半数以下で、残りは撤回・謝罪する。

「事なかれ主義」の語を用いて時事問題を語る文、そして、議論・概念の新旧にまどわされずに物を考えるべきだと提唱する文、ここで出典としたそれぞれは傾聴に値するものなのに、組み合わせると、あらゆる反論・批判を押し返して居直る最悪・最強のゴーマニズムをでっちあげることになってしまった。でも、こんなことを言うボスキャラを倒せたら、それは真の勇者かもしれない、という気がしないでもない。やっぱり「創作者誤認惹起行為」は良くない。「事なかれ主義」も良くない。頑張れゲンロン!

事なかれ主義 ことなかれしゅぎ

紛争を回避し、平穏無事であることをなにより優先する態度。そのためトラブルは隠蔽に努める。

公務員や大企業などの組織所属の人間に多く見られる。ひどいのになると、告発者に向かって「なかったことにしてやる」と恩を着せる者もいる。

日本の社会はこの傾向が強い

事なかれ主義とは - はてなキーワード

「事なかれ主義」という言葉を見たのは久しぶりで、一度死んだ言葉の復活か、と思ったのだが、そういうわけでもなく、案外、世間では今もこの言葉(と態度)が普通に生き続けており、気づいていないのは私だけ、だったりするのだろうか。

「空気を読む」は「事なかれ主義」の同義語だ、ということを、わざわざ説明しなくても察知できることこそが「空気を読む」ことなのだ、みたいに「事なかれ主義」がメタに機能し続けている、とか、そんな感じなのかしら。

だったら逆に恐いわけだが、

日本人論で「事なかれ主義」という言葉を最初に使ったのは誰なんだろう? 書評やコンサート評が「誉め」ばかりになるのも、「事なかれ主義」かな?

[追記]

……と、雑駁な文を捏造したところ、どうやら、「創作者誤認惹起行為」なるものに端を発して、ひとまず、現行の学位認定プロセスには「事なかれ主義」との誤認を惹起し得る過剰な複雑さ、いわば「学位認定の事なかれ主義誤認惹起問題」とでも呼ぶべき課題があるらしく、そのような方向に議論が進むことは、きっといいことなのだろうという気がする。

(伝え聞くところでは、STAPの周囲にノーベル賞受賞者がいて、そこでは「立派な賞の受賞者の処遇に関する事なかれ主義誤認惹起行為」が囁かれていたりもするらしいので、「誤認惹起行為」の語は、案外使い勝手がいいのかもしれず、やっぱり学者というのは、新しい概念を創るクリエイティヴな存在であるようだ。(ミスリードと言えば済むのだから、屋上屋の懸念は残るが。))