歴史は繰り返す:「私たちは演出家の実験台・モルモットじゃないのよ!」

[いくつかコメントを追記]

ここ(→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140805/p3)に書いた話に関連する昔の音楽之友の記事を掲げておきます。

引用その1:『音楽之友』1955年9月号、pp.227-228

関西楽壇ニュース ◇動揺する武智演出

歌劇の演出家はプログラムに名前こそのつているが、いわば影の存在で、よほどのファンか専門家でなければ気にとめなかつたものである。ところが最近の関西楽壇では演出家武智鉄二の名が、やたらに取りあげられ論議されるようになつた。演出家が影の存在ではないということを立証したのは彼のお手柄ともいえる。

彼はもともと歌舞伎畑の人だから、その演出には多分の歌舞伎調がある。そこが西洋流の唱法とオーケストラが生み出す音楽のイメージからかけはなれているために音楽批評家の側から攻撃の声があがつた。もつとも「蝶々夫人」や「修禅寺物語」あたりではまだしも「道化師」「カルメン」の演出では毎日新聞、神戸新聞、讀賣新聞の批評欄はじめ私も朝日新聞で期せずして攻撃集中の形となつた。また藤田光彦氏も神戸放送で、その演出を鋭く批判している。

芸術は個性的なものだから批評家もまた個性にしたがつて、いくらか違つたものになるのは当然である。しかし趣旨をまとめてみると『武智演出が従来まで無演技に近かつたオペラ歌手に演技の重要性を認識させたこと』はよかつたという点では一致している。欠点としては(1)音楽を軽視してスコアをやたらにケズるのは無茶だ。(2)歌手に唱いにくい姿勢を強いすぎる。(3)演出解釈がイデオロギー的で原作を無視している。例えば「蝶々夫人」をアメリカへのレジスタンスと解し「カルメン」の煙草工場の職工たちを軍に対するレジスタンスとする如きがその一例だ。

武智鉄二はこれらの批評に対して論旨一貫した回答をせず“批評家たちは百年遅れている”などと至るところで罵倒している。しかし彼の演出方向を連続して見てきたわれわれには彼がやはり批評に動ごかされて自分の方法に迷つていることがわかる。その証拠は「カルメン」で彼がそれまでやつていたような歌手に無理な姿勢を強いることを、すつかりやめたことでわかる。しかしこの演出は演技重視の彼独特の方法が総退却した形で、変にミュージカルのようなところもあり失敗作だというので、また批評家から攻撃された。

しかし「白狐の湯」や「赤い陣羽織」のような創作オペラになるとグランド・オペラの概念から外れた作品だけに武智演出の欠点も、また彼の方法的な弱み、迷いも目につかず、ともかく見られるものだつた。しかし藤田光彦氏らも主張されるように、これはオペラという概念からは遠いものである。一種の日本的ミュージカルといつた方がよいかも知れぬ。とも角、武智演出はいま動揺している。関西の楽壇がそれを育てるためには、もつと酷評されて正しい道が見出されなければなるまい。しかしこのごろにぎやかな武智演出の本領は、けつきょくオペラの改革などという大きなことではなく、オペラとはちがつた娯楽的音楽劇「赤い陣羽織」の系列のものを生み出して行くのにあるのだろう。(鳥海[=当時の朝日新聞、大阪在住の音楽記者])

50年前の関西で、既にこういうことが起きているのです。何で揉めたのか、論争のポイントは全然古くないでしょう?

「武智鉄二はこれらの批評に対して論旨一貫した回答をせず“批評家たちは百年遅れている”などと至るところで罵倒している」に注目したい。演出家が「バカとの闘い」というスタンスを採用した典型がここにあります。

そしてその1年後にどうなったか?

引用その2:『音楽之友』1956年4月号、p.190-191

関西楽壇論潮 関西歌劇団の新しい方向 柴田仁

懸案となつていたままの関西歌劇の東京公演がやつと三月二十八日、二十九日に実現することになつた。

「お蝶夫人」の公演が流れて以来、なん度も東京公演の話がでながら、実現の運びとならなかつたものである。これで関西歌劇団として東京ではじめて批判を乞うことになるし、また、問題の武智オペラも東京の批評家たちの俎上にのることになつたわけだ。

その武智オペラは、「お蝶夫人」以来今度東京公演が実現するまでの間関西ではずい分と武智オペラそのものが次々と試みられ、またいろいろと批判もされてきたものである。

問題になりはじめたのは「お蝶夫人」「修禅寺物語」のあと「夕鶴」「道化師」のときからである。もつとも、このときは武智鉄二氏の鋭い舌鋒と、批評家たちの論戦が激しくかわわされたものの、批評としてはついに武智オペラの核心がつけぬままに終つた感が深い。

その後、ビゼーの「カルメン」のころから武智鉄二の理論と演出成果とが、その舞台上で分裂をみせだした。その後、今度東京公演の創作オペラ以外では、ストラヴィンスキー「結婚」、ヴェルディ「椿姫」を発表してきている。

「椿姫」は奇才武智鉄二にしては余りにも平凡、「結婚」の方は反対に音才を矢たらに乱費した作品。

ところで、関西での武智批判が余りきびしく激しかつたため、関西歌劇団の内部に動揺が起つた。これは歌手たちの間にであつた。これもはじめは武智オペラへの不安という形ではなくて、関西批評家への不信と反パツという形であらわれていたようである。

しかしストラヴィンスキー「結婚」の公演のころには、「武智氏は一体どんなつもりなのだろうか?」という批判が歌手たちの間にも起つてきていた。

この「結婚」というのは余りにも思いつきにすぎ、余りにも試みにすぎた。それで歌手たちにすれば、モルモット的な自分たちのあり方に不安を持ちだしたわけだ。

ということや、批判もその中にでてきたことは、歌劇団としてようやく正常化してきたことで、それで武智オペラを中心に歌劇団が分裂したり崩壊するなどと思うのも早計であろう。

歌劇団の人たちに、私は歌劇団内で活発な討論や、厳しい批判が、上に向つても下に向つてもされるような、そんな姿になることを話す機会のあるごとにすすめている。

関西の楽壇はそのスケールや経済的な基盤の構造上、どうしても関西交響楽団や、関西歌劇団を中心に回転していく。しかも関西交響楽団は朝比奈隆氏、関西歌劇団は武智鉄二氏という個人を中心に回転するようになる。中心軸は当然あつてしかるべきだが、中心軸にふりまわされがちになることが問題となる。全体が自ら軸を中心にしてまわりながら軸を回転させ、軸の回転を自分の運動のエネルギーともすることが本来の姿であろう。

そのような形へと、やや脱皮しつつある関西歌劇団が、今回の東京公演の実現をみたことである。

その辺をとくに、東京の批評家の諸先生方に、お願いしたいと、関西の地から期待と希望をよせるものである。

最初の記事の朝日新聞・鳴海記者も、この記事の夕刊紙記者・柴田仁も、武智鉄二のオペラ演出改革を冷ややかに見る立場なので、バイアスがかかって、実態が見えにくくなっているところはあります。でも、当時の記事をいくら調べても、「中立公正」な記述など、まったく見当たらないんです。武智鉄二本人の主張と、アンチの人たちの主張がひたすら衝突するのみ。

リアルに、行動・運動が開始されると、言論メディアはこういう状態になる。別に、昔のマスメディアには見識があり、最近は劣化した、とか、炎上でグチャグチャになるのはネット固有の特徴だ、とか、そういうことじゃないんです。

グチャグチャになった言葉の応酬を、それなりに乗りこなさないと仕方がない。今も昔も大して変わりはありません。

(晩年に「大先生」になった吉田秀和は、当時売り出し中の音楽評論家ですが、論戦に駆り出されても日和見で、めちゃズルい(笑)。武智鉄二の歌舞伎批評におけるライヴァルだった戸板康二のバックには文壇のダレソレがいる、というようなことを吉田秀和は熟知して、オペラ問題に演劇人が絡んできた状況で、上手に世渡りしようとしたんです。こういう若かりし頃の古傷をちゃんと知らずに、「エライ人」を盲信するダメなオトナにならないようにしなくちゃね。

ちなみに、吉田秀和は1970年代半ばに三谷礼二という才気煥発な演出家が出てきたときにも、きわめて狡猾に立ち回っています。欲しいものをちゃっかり手に入れるエゴが、いざとなるとドロっと出てくるところが、吉田秀和にある。聖人君子じゃない。当然だが……。

そして、第一に楽壇を文壇や劇界から隔離して、「吉田秀和の傘の下での平和」を保つこと、第二に、一種のペットとしてコントロール可能な演劇人だけを「平和な楽壇」に入れること。彼は、戦後の日本のオペラがこうした形に編成されていくことを、推進したとまでは言えないけれども容認した人だと思います。)

記事の真ん中あたり、

「関西での武智批判が余りきびしく激しかつたため、関西歌劇団の内部に動揺が起つた。これは歌手たちの間にであつた。これもはじめは武智オペラへの不安という形ではなくて、関西批評家への不信と反パツという形であらわれていたようである。しかしストラヴィンスキー「結婚」の公演のころには、「武智氏は一体どんなつもりなのだろうか?」という批判が歌手たちの間にも起つてきていた。」

というあたりにご注目いただきたい。

教訓は2つ。

  • (1) 「運動」が瓦解するのは、たいてい、内部に動揺・亀裂が走ったときである。(だから、たとえば労働組合運動華やかなりし頃には、経営者側が、しばしば、自分たちの息のかかった第二組合を作って分断工作をしたようです。)
  • (2) オペラで何らかの「運動」をするときは、歌手の動向が鍵になる。「これじゃあまるで、演出家のための実験台・モルモットじゃない」と思われて、歌手にそっぽを向かれたら、その時点で終わり、なのです。

今回は、50年前と違って、関西は震源地じゃないし、関西に「彼」をお迎えした5年間は事故もなくおもてなしができたのですから、やれやれ、です。

オペラをdisるのを、ネタとして消費して、瞬間沸騰するのは結構だが、そういう渦が周りに巻き起こるのに歌手たちは慣れっこだから、そんなところで空ぶかししていると、すぐに貝の蓋が閉じてしまいますよ。

支持派の人も、アンチの人も、歴史の教訓を頭に置いて、それぞれに頑張ってくださいませ。

本当にちゃんとした「成果」が出てくるのは、そういう瞬間沸騰が収まって、地道な取り組みが順当に実を結んだときだと思うので、気長にやりましょう。若い世代の皆さんは、オジサン・オバサンが周りでワアワア騒いでも、決して浮かれているわけじゃないと信じています。