北口大輔

書くタイミングを逃していたが、8/7、びわ湖のコンヴィチュニーのゲネプロがあった日は、日本センチュリー響のいずみホール定期(「温故知新」とかいうやつの2回目)に行った。結局、コンヴィチュニーの10日間で2回このオーケストラを聴いたわけで、それはもちろん、このオーケストラはどこへ向かうのだろう、ということも、「コンヴィチュニーinジャパン」の成り行きと同じくらい要注目だと思っていたからです。

2日の沼尻竜典&中村恵理inびわ湖ホールの感想は、京都新聞に出るのでそちらでどうぞ。

7日の飯森範親は、17:30まで大津にいたので1曲目のバッハを聴き逃したが、最後のジュピターが、変な言い方になるけれど、「オーケストラの言い分」に真摯に耳を傾ける演奏だったので、へえ、と思った。

それより、ハイドンのハ長調のコンチェルトを弾いたチェロの首席の北口大輔が、この曲をこんな風にたっぷりと響かせるのは凄いことなんじゃないか、と思ったのだけれど、あまり、どこにもそういう評判は立っていないようで……。

これは、あるいは、このホールの某職員さんの言い方によるところの「目利き」なる方々があまり集まらないコンサートだった、ということなのかしら。難しいものなのね、と思った。どこで良い演奏に出会うことができるか、お天気と違って、なかなか事前に「予報」できるものじゃない。

(最近のテレビ(気象庁?)の天気予報は、「最悪の場合」を想定して大げさ気味に言っておいて、あとで文句を言われないようにしているように見えて仕方がないけれど、これをずっと続けていると、オオカミ少年のようにヒトを油断させちゃうだろうなあ、と思う。

コンサートの「予報」が、全部、「すばらしい内容です、名演の予感」という論調ばかりだと、止まった時計は必ず1日に2回正確な時刻を表示する、というのとあまり変わらない感じがしてくるわけで……、

未来とは、コントロールするのとは違う仕方でつきあったほうがよさそうだ、ということですね。

連敗続きの野球チームが、「どうせ今日もダメだろう」と思って応援に行かなかった日に劇的な勝利を飾ったりする、とか、ありそうですもんね。

「勝っても負けても通う」というのは、大事なことだ。)

[とはいえ、「個々の公演のチケットではなく、年間シートを売る、というのがこれからの劇場のあり方です」と平田オリザに討論会の壇上から言われると、ほとんど同じことを言っているはずなのだけれど、賛同したくない気持ちになってしまうのは何故なのか。ここはまだ、自分でもよくわからない。話の内容に異論はないけれど、この人に物事のイニシアチヴを握られるのはなんとなく嫌だ、ということってありますよね(笑)。]