http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/26006211.html
「ボクはバカだから、春の祭典のヒップ(Historical Informed Performance←古楽とかピリオドアプローチとか言われているものを、アングロサクソン系の学者が最近はこう呼びたがっているらしい、あの人たちは、偽善だろうが何だろうが、とにかく公正中立に見える定義が好きだから……)と言われても、それってモントゥーの演奏をデジタル・リマスタリングするのと何が違うの? どの道、危険な香りがするわけないじゃん、と思っちゃうよ」
……ということなのだけれど、
これではまだ、現代社会を生き抜く「バカの度合い」が不足しているかもしれないので、
「ストラヴィンスキーに凶暴さが足りないことに不満な音楽評論家が、1913年にタイムスリップして、舞台裏にモントゥーを呼び出し、こんこんと説教する姿」
を想像することにした。
「ストラヴィンスキー、かくあるべし」なんてのは、あのロシア生まれのくせ者が長い人生で色々なことをやって、その過程で出てきた音楽がレコードなるものを通じて手軽に楽しめるようになったときに、サウンドの向こうに見える(ような気がする)幻に過ぎないと思うのだけれど、
21世紀から乗り込んで来た音楽評論家が、いきなり「ストラヴィンスキー、かくあるべし」と苦情を言っても、たぶん1913年の段階で、レコードなんて、まだ海の物とも山の物とも知れなかったわけだし、ストラヴィンスキーとバレエ・リュスは、まだはじまって数年で先のことなど、わかりゃしない。だいいち、オレはディアギレフに雇われただけだよ、ってことで、1913年のピエール・モントゥーは、その男を迷惑なキチガイと思うだろうなあ。
……と、頑張って脳内バカ濃度を高めるべく努めた私は、とりあえず、そこまで想像の中で物語を展開できた。(「役」の人生や内面に入り込んで憑依してみせるリアリズム演技の実践?)
ココとイゴールのベッドシーンが壮大なページェントとして妄想されて、その映画をディズニーが全世界へ配給するのだから、バカのバカ度を猛烈に増進させる危険ドラッグの役割をハルサイに期待する人が、今もなお、絶滅することなく生存しているということだろう。
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[私は、昔から「ペトルーシュカ」のほうが断然好きだし、先月の大阪響の定期、これとバルトークのヴァイオリン協奏曲1番とベルリオーズの「リア王」という攻め攻めの選曲だった演奏会の評が、そのうち、日経に出るはずです。]
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ハルサイのヒップって、SFのタイムワープものがパラドクスを発症するのと同じようなものなんじゃないかしら。
古い音楽を復興するのって、どこかしら、タイムマシン願望に似ているから、早晩こうなる。
「意味」を変えて楽しめばええんとちゃうの。
古い音楽には今とは違うことが色々ある、というのは、当たり前といえば当たり前なんで、それが当たり前になって、特段の「話題性」がなくなりつつあること。いわば、無味無臭の常識になりつつあることに、私は、割合ほっとしている。これでまたひとつ、バカの温床が消えた、という感じ。
(古楽やピリオド・アプローチは、今ではもう、大阪の、スキャンダルをことさらに嫌う企業系音楽堂が普通に「お取り扱い」できるくらいに無害なことだ。)
一方、ブリュッヘンが醸し出していた「異物感」は、何か変なものだったですよね。あれは、ストラヴィンスキーの「凶暴さ」なるものと同じくらい20世紀の香りだったんじゃないですかね。