演劇ジャポニズムの再起動:日本の音楽会の上空にヘリコプターが飛来する日は訪れるか?

この文章の要旨:新古典主義がカジュアルに「オマージュ」や「パクリ」を繰り返すポップな複製文化の道を開き、表現主義が映画やテレビドラマの特殊効果音としてコモデティティ化して生き延びたように、戦後のミュージック・シアターの様々な試みは、冷戦後のオペラの自由な舞台作りのアイデアや技法に回収されていく(既にそうなっている)のではないか。

コンヴィチュニー騒動ではじまった8月は、シュトックハウゼンの「歴年」できれいにオチがついた……ような気がします。

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「光」がどんなオペラなのか、おぼろげにヒントをつかめたのは確かなんですが、やっぱり続けて2度聴くと、ちょっと飽きますね。

1回目の雅楽版の舞台上が「1977」なのはこの作品の原点・出発点に戻ってリスタートしようということだろうからいいと思うのですが(意図的に1977年を「再現」しようとした舞台を見て「古くさい」とか言いがかりをつける人に、1977年当時の批評家たちを嗤う資格はなかろうて)、2回目の洋楽版も、たしかに歌手が入ったオペラ版で、舞台上も今年の西暦「2014」になってはいたのだけれど、音楽は「1977」のときの段取りのままでしたよね。

楽譜を確認したわけではないので、間違っているかもしれませんが、シュトックハウゼンのプログラムノートを読む限りでは、年が変われば音楽の段取りも変わっていく構想で、だったら「2014」は「1977」とは随分違ったことになったりするのではないかと期待していたので、そこが残念でした。

出てきたものから推測するかぎりでは、たぶん今回のコンセプトの柱は2つあって、ひとつは、同じ音楽が雅楽版と洋楽版でどう違うか、どこが一緒なのか聞き比べることで、この目的は果たされたように思います。

でも、もうひとつ、「歴年」は、1977年ヴァージョンで止まってしまうものではなくて、毎年変わっていくようにプログラムされていたはずで、そうした、いわば「最新の歴年」を2日後に提示してはじめて、三輪眞弘さんの委嘱新作と並べる意味が出てきたんじゃないかと思うのだけれど、そこがやや腰砕けになったように思いました。

準備を進めるうちに、2日目は、この作品の「オペラ」としての側面をいかにはっきり打ち出すか、というほうに力点が移っちゃったのかもしれませんが……。

でも、それじゃあ「オペラ」としてどうか、と考えると、音楽は「1977年版」に一切手を付けていないし、なおかつ、4つの窓のカウントダウンと、舞台後方のアンサンブルと、舞台前方の4人のダンスが、なんとなくズレてはいない状態ではあるのだけれども、実際には、ちゃんとリンクしてないですよね。

アンサンブル部隊がダンスの特定の動きをトリガーにして次を弾いて、さらにそういう音楽の特定のキューに従ってそれぞれの窓の数字が動く、という風にはなっていない。そうではなくて、できあがりの形をこういう風に整えればいいんだ、というところから逆算して、だったら、ダンスはだいたいこんな感じ、アンサンブルは、(実際弾いてみたら結構大変だから)アンサンブルだけで固めちゃいましょう、みたいに作られているように見えました。

こういう辻褄合わせがシュトックハウゼン的にオッケーなのかどうか、そこがよくわからず、釈然としなかったです。

(20世紀の実験的な音楽を上演するときには、しばしば、現場の「辻褄合わせ」をせざるを得ないことが起きるのは知っていますし、そういうのが目に余ったから、私は特に初期の頃の大阪のいずみシンフォニエッタを認めてないんですけれど……。)

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逆に「オペラの現在と未来」みたいなことを考えた場合、能に刺激をうけたブリテンの「カーリュー・リヴァー」(今度大阪音大のオペラハウスがやりますけど)とか、雅楽を咀嚼しようとしたこの作品とかは、音(音楽)と所作と物語の関係を、ヨーロッパの従来のオペラとは違う風に組み替えたいと作曲家たちが思っていて、そのヒントを日本の古典芸能に求めた形ですよね。

現在のオペラ興行で演出家が音楽に強力に介入できているのは、そうした試みの成果が古典的なレパートリーのほうへ環流している一面が間違いなくあると思うんですよ。新古典主義がカジュアルに「オマージュ」や「パクリ」を繰り返すポップな複製文化の道を開き、表現主義が映画やテレビドラマの特殊効果音としてコモデティティ化して生き延びたように、戦後のミュージック・シアターの様々な試みは、冷戦後のオペラの自由な舞台作りのアイデアや技法に回収されていく(既にそうなっている)のではないか。

コンヴィチュニーとか、そのクラスの演出家は、めちゃくちゃ音楽がわかっているし、彼らが歌手の歌い方やオーケストラの演奏を変えてしまうことができるのは、演出家の介入によって音と所作と物語の関係を組み替えてしまうからだと思います。あれは、台本やスコアを真面目に読み込む、とか、そういう風に既存の枠組みのなかで自分の持ち分を「深める」だけではできない。あの人たちは、同時代の様々な実験的な舞台(オペラに限らず)から、大量の武器弾薬を「密輸入」してると思います。単なる「読み込み」ではないし、表面的な現象だけをみて「読み替え」と一過性の流行扱いするのも違う。オペラと劇場の「組み替え」なんじゃないだろうか?

そしてそういう「組み替え」の先鞭を付けたのかもしれない作品が日本で作られていた、というのが面白いわけですよね。

西洋人がニッポンにやって来て、西洋とは違うシステムで稼働している演劇・劇場を、こりゃ面白い、と思って研究して、新しい作品を書いた。そうしたら、そういう作品を見て、劇場の現場関係者が演出家を先頭に立てて、演劇・劇場そのものをアップデートしよう、みたいな動きが出てきた。作曲家たちの実験を参考にすれば、演目は昔からやってる同じ出し物でも、見たこともないやり方に作り直すことができそうだ、ということで、色々な「新演出」が登場した。そうして今度は、ぐるっと一周して、その「新しい演出法」がゼロ年代のニッポンで、面白いかも、と注目を集めた。

……たぶん、そういう循環だと思います。

19世紀後半の浮世絵ジャポニズムが絵画の二次元視覚表現のアップデートに一役買ったとされるように、20世紀後半の演劇ジャポニズムは、劇場のアップデートに、ひょっとすると一役買ったかもしれないわけだ。

せっかくのそういう作品を、まるで18世紀や19世紀のオペラを20世紀前半までの指揮者とオーケストラがやるときみたいに(たとえばヴィーラント・ワーグナーの舞台を一切みないで指揮したと言われるクナッパーツブッシュみたいに)、音楽は音楽でがっちり固めて、ダンスは好きに踊っといてくれたらいいから、みたいに上演するのは、勿体ないと思う。

今やることにこそ意味がある感じなのに、ポイントを取り逃がしている気がしました。

シュトックハウゼンのオペラ、全部やると面白いのかも、と思えたので、意義は十二分にあったと思いますが。

(日本の今の音楽業界にヘリコプターを調達する行動力があるのかどうか、知らないけれど、演出の劇場、演出家がドラマを牽引する、というアイデアは、たぶん、そういうのを含んでいる。

日本にオペラ演出家養成コースが要るか否か、という話は、「ふがいない歌手たちに、いい先生を見つけてあげたい」という、歌のおけいこ、に矮小化するのでないとしたら、そこまでの権限を演出家に与えることをニッポンの楽壇・オペラ界が認めるか、という、割とシビアな政治問題だと思います。

木戸敏郎の頃みたいに、プロデューサーが号令一下、手下を動かす、みたいなトップダウンでは限界がある。作曲家の尊重・独裁も弊害が大きすぎるだろうことは目に見えている。そこで出てきたのが、現場の演出家にやらせてみよう、ということであったと思われ、だから、今回のプロジェクトの人選で一番の焦点は、演出(家)がこれでよかったのか、というところになると思う。

木戸敏郎という爺さんを好きか嫌いか、シュトックハウゼンという既に死んてしまったキテレツ親爺を認めるか認めないか、という後ろ向きな話に回収してはつまらない。東条とか、そのあたりの人たちに物を言わせると、いつまでたってもそんな話しかしないわけだが。)