オペラが死んだ日:ルネ・クレール/エリック・サティ「幕間」

夢の衣裳・記憶の壺―舞踊とモダニズム

夢の衣裳・記憶の壺―舞踊とモダニズム

「歴年」に関して、というか、あれと一緒に上演された三輪眞弘さんの作品について、舞台上でなされていた行為を「演技」と呼んでいいのだろうか、そんな粗雑な言い方をしたら、第四の壁をめぐる議論とか、20世紀の劇場の積み重ねが全部無駄だったことになってしまうんでないの、とグチャグチャ書こうと思っていたのですが、なんか、どうでもよくなってきた(笑)。

「舞台上で起きていることはすべて他人事・絵空事であり、気軽に感想を言えばよい。気に入らなければ、眉間に皺を寄せて、帰りに主催者に嫌みの一つでも言っておけば、二度とくだらないものを見せられることはなくなるであろう。エッヘン」

みたいな「バカの壁」(ジジ臭いぞ!)が、第四の壁を頑強に裏打ちしており、今も盤石なのであろう、ということで、アホは放置じゃ。

「アホなオッサンたちのご機嫌をとらなきゃならないもんだから、音楽家も演出家も、仕上がり・体裁をきれいに整えること最優先になって、見栄えを美麗・無難に磨きあげる“東京趣味”が出来上がってしまうんだろうねえ、大変だねえ」

と捨て台詞を言って、下品な関西人はジモトへ戻る(笑)。

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バレエ・リュス展の図録に参考文献であがっていた國吉和子先生の本を読んだら、これまで読んだモダン・ダンス関係のどの本よりもわかりやすくて、目から鱗が落ちる思いで、今はもう、こっちに夢中なのです。

(優れた論文は参考文献の筋がいい、というのは、一般に言えますよね。)

オリエンタルな女性のイメージが世紀末に流布したところから説き起こして、ボディビルダー的なマッチョ(男が正装で身体を隠すのではなく、筋肉ムキムキをひけらかす態度)は、そうした女性の身体の露呈への反作用みたいなものとして出てきたのではなかろうか、という見立ては、お見事と思ってしまいましたし、

(その両方を制御するモダンな表象世界の中心に君臨したのが、ディアギレフのような男色家であり、彼が見いだしたニジンスキーの女性的でも男性的でもない身体だった、という風にまとめると、話がきれいな構図に収まる)

そのあとも、ミュージカルを生み出したアメリカン・バレエとは何だったのか、という話とか、いわゆる「ジャズ」をチャップリンとドビュッシーのパリでの出会いのエピソードから初めて整理する手つきとか、いちいち腑に落ちる。

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そうして、前からどうもモヤモヤして具体的なイメージをつかめなかったパリの一連の軽薄な人々(サティを担ぎ出したコクトーと六人組であるとか、ダダとか、キャバレーとか、そのあたり)は、バレエ・リュスの対抗馬としてコクトーが肩入れしたバレエ・スエドワ(ロルフ・デ・マーレのスエーデン・バレエ)というのに着目すると、時代の見取り図がすっきりするみたい。

バレエ・リュスは、衣装展を初期から順に見ていくと、シェエラザードなどは豪勢に縫製された一点物の「服」を身にまとう感じだったのが、第一次大戦後は、有名画家の二次元のデザイン画をプリントアウトしただけなんじゃないか、と思えるヒラヒラした一枚の「布」を頭からすっぽり被ってイッチョ上がりなものがあったりして、明らかに断絶がある、安っぽくなっている、と思えたのですが、

たぶんそれでもやっぱり、バレエ・リュスはビッグネームで、帝政ロシアを背負った「上から目線」みたいなものがあったんじゃないか。ディアギレフには、ロシアの文化大臣になる話もあったらしいし……。で、バレエ・リュスがペラペラした衣装になるのは、祖国ロシア帝国が消滅して、彼らが故郷喪失の根無し草になってからなのかもしれませんが、それでも彼らは豪華ホテルに陣取って、大物アーチストを招いて、スペイン国王に謁見したりする貴族趣味を捨ててはいないですよね。最後まで一流好みな人たちだった。

そしてどうやら、バレエ・スエドワは、そういうディアギレフの唯一の弱点みたいなところを突く徹底した軽薄・お気楽路線だったみたい。いかにもコクトーが考えそうなことだと思いました。

で、「エッフェル塔の花嫁」というバレエは、六人組の共同作業ということで名前だけ有名ですが、これがバレエ・スエドワなんですね。

そしてそんな説明の中にサティ「幕間」の話が出てきて、もしや、と思ったら、YouTubeでルネ・クレールの映画にサティの音楽をくっつけている映像が見つかった。

ベルクが「ルル」の転換に使おうと思っていた映画のシナリオや音楽とどれだけ違うか、という話ですが、数年後にベルリンに来た貴志康一が映画をやりたくなったのも、長編のドラマを作りたかったわけじゃなく、こういう、無責任でナンセンスなイメージを連発する新しいメディアに魅了されたんだろうなあ、と思いました。

オペラ的感性は大作映画に受け継がれたと言われますが、それはあくまで、この種のナンセンスによって、オペラが過去の遺物扱いされ、一度死んだ、「オワコン」扱いされた、その次の段階の話ですよね。

自分が一度死んだゾンビであることを忘れてはいけない(笑)。

1920年代にオペラは一度死んだ、と実感するために、ヒンデミットは格好の出し物だと思うのですが、なかなか上演されませんよねえ。