バルトークを疑う

リリー・クラウス(Lili Kraus, 1903年[1]4月3日 - 1986年11月6日)は、ハンガリー・ブダペスト出身のユダヤ系ピアニスト。[2]

17歳でブダペスト音楽院に進み、アルトゥール・シュナーベルやゾルターン・コダーイ、ベーラ・バルトークらに師事。1930年代、ウィーン音楽院にてアルトゥル・シュナーベルに師事し集中的に古典派音楽にとりくむ傍ら、エドゥアルト・シュトイアーマンの許で研鑚を重ねる。

リリー・クラウス - Wikipedia

シュナーベルに師事したのは、ドイツ語版ウィキペディアではベルリンとなっていて、こっちのほうが正しそうな感触があるが(http://de.wikipedia.org/wiki/Lili_Kraus)、ともあれ、この人脈を見たら「不良」とかそういう生半可なことではなく、「その筋の人」(不良・ヤンキーではなく、本職のヤーサン)ですやんかいさ(笑)。モーツァルトの演奏を聴いたら、レールを外れてグレてダラけてる暇などなく、次から次へと襲ってくる敵を躊躇なく撃つ臨場感がある。

ハンガリーの出身でバルトークにも学んでいる。だからというわけではないが

不良のモーツァルト ( イラストレーション ) - Le plaisir de la musique 音楽の歓び - Yahoo!ブログ

どーして言葉を濁して格好つけるか、理由がわからないのだが(吉田秀和の「恥じらい」の口マネ?)、リンク先に埋め込まれているルーマニア民族舞曲の演奏は、

「わたしはコダーイとハンガリーの弟子、直伝よ!」

と思いっきりアピールしているようにしか聞こえませんがな。チンピラがチャカ振り回してるみたいなバルトーク(笑)。

ただし、私が知る限り、バルトーク自身はこんな風にはっちゃけてトランシルヴァニア民謡を弾かないので、教わった通りに弾いているのではなく、弟子・信奉者によるアラレもない誇張と言うべきかな、と思う。

だから、そのタイミングで言葉を濁すのではなく、拍手喝采しながらも、「ちょっとやり過ぎなんじゃないの」と、たしなめるべき演奏なのではないだろうか。

(北島三郎の存在を考えると、演歌について、あまりいい加減なことは言えないな、というのに似た緊張感が、バルトークを語るときには、あってしかるべき(笑)。)

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ところで、偶然なのか、何かを察知したのか知りませんが、「有調/無調」という物の言い方に苛立っているのは、昨日から戦間期のヴァイオリン協奏曲のことをゴソゴソ調べているからです。

プロコフィエフの2曲とストラヴィンスキー、この時期のロシアのヴァイオリン協奏曲が今でもさかんに(若手の腕試しという感じで)演奏されますが、

ほかに、クルト・ヴァイルが「三文オペラ」でそっち系の人になる直前に評判を取ったらしいヴァイオリンと管楽器の協奏曲(1924)や、シマノフスキーの油絵のように美麗な第1番に比べたらスリムになっているとはいえ、実際に聴くとやっぱりコッテリした印象を受けてしまう第2番(1933年←3年前に諏訪内晶子&ウルバンスキが大フィルでやった)があって、

バルトークは、一説では(どこでその情報を読んだのかメモし忘れたので間違いかもしれませんが)ヴァイルやシマノフスキを研究してから第2番(1938)を書いたのではないか、とも言われているらしい。

その説が本当なのか、証拠を確認するまで信用できない気持ちはあるのですが、その情報が本当だとしたら、バルトークは、ヴァイルやシマノフスキから何を得たのだろう、と思ったのです。

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グリークの晩年の音楽をバルトークが評価したのは本当の話らしいですが、そのエピソードに比べると、ヴァイルやシマノフスキは、バルトークが関心をもつには「近すぎる」ような気がする。この人はもっと大物然としていたんじゃないか、とも思うのですが……、

なるほどシマノフスキは、チェコとの国境の山岳地域のフォークロアに夢中だった時期の作品なので、作風が近い、というか、国際市場におけるキャラがカブりそうな存在ではありますね。

一方、クルト・ヴァイルは、色々調べてみると、このコンチェルトをバルトークと同郷のシゲティ(ヴァイルの師ブゾーニの友人)に献呈しようとしたらしい(演奏してもらえず、献呈を外したそうだけど)。

初演は1925年パリの現代産業装飾芸術国際博覧会 (Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels Modernes)で、この万博は「アール・デコ博覧会」と呼ばれて1920年代を象徴するアート・イベントのひとつとされるようですから、ヴァイルは「三文オペラ」で売れる前から注目の若手だったんでしょうね。無調表現主義もジャズもシニカルな風刺も、全部身につけて、ヒンデミットより才能ありそうですもんね。

もしバルトークがヴァイルに関心があったとしたら、1920年代の売れ筋がどういうものか、研究したことになるのかなあと思う。

シマノフスキにせよヴァイルにせよ、1938年の段階でバルトークが彼らに関心を持ったとしたら、純粋に作曲上の「問題」を解決するためのヒントを得ようとか、作風に刺激を受けたとか、というのではなく、競合他社を市場調査(笑)したことになりそうです。

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で、出来上がったバルトークの新作協奏曲は、たしかに、調性がある(ぬけぬけとH-durをハープが鳴らしてスタートする)けれど、「悪しきロマン主義」の鬱蒼とした森の残り香をシマノフスキとは比べものにならないくらい上手に消臭していますし、ブラスが家畜の鳴き声みたいにバカっぽく鳴るところとか、戦間期の頭空っぽにした感じのドラスティックなコントラストをクルト・ヴァイルよりカッチョよく決めている。(だからコパチンスカヤにうってつけ。)

ヴァイルやシマノフスキを意識したかどうかはわかりませんが、意識したとしても、これではもはや「後出しジャンケン」だし、バルトークの実力だったら、勝って当たり前かなあ、という感じですね。

で、この作品は、友人セーケイの委嘱で、メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管が初演して放送もされたようですが、注目度の高い晴れ舞台で上演されることになるだろうと見込んで、「勝ちに行った曲」、他を圧倒するために書かれた曲なんじゃないかと思いました。

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改めて考えてみると、バルトークは、若い頃にハルサイに先駆けてしまったアレグロ・バルバロがあって、ブラスバンドで人気のマンダリンが真ん中にあって、晩年のオケコンまで、結構、ここぞのときに狙い澄ましたハッタリをかましますよね。

バルトークは、そこまでやるか、というようなことを節目節目にやってしまう。

リストを批判して「真の民謡はそんなもんじゃない」と主張したり、反ナチスの闘士としてヨーロッパに別れを告げたり、白血病で死んでしまったり、正義の人・気骨の人・ダンディでストイックな知性派のイメージがあるけれど、それは、作品の印象を作者へ投影しているだけで、バルトーク本人はもっと俗っぽく、機を見て野心と戦略で動くところがあったんじゃないだろうか。

若い頃リヒャルト・シュトラウスに入れあげた時期があったり、「東欧版五族協和」みたいな舞踊組曲を大々的に発表してしまった前科もありますし……、

たとえば、バルトークのブダペスト告別コンサートは随分華やかなものだったらしい。ナチスに追われた印象ではあるけれど、彼が北米へ渡ったあとも、ユダヤ人の作品のように禁止されたわけではなくブダペストでは彼の舞台作品が上演され続けていたらしいじゃないですか。(だから柴田南雄は、戦争中にバルトークの作品に関する情報を得ることができた。)

晩年の悲劇的なイメージも、例の本があるからそう思うだけで、私たちは実証的に彼の足跡の全貌を知っているわけじゃないですよね。

リリー・クラウスが嬉しそうに弾いているのをみると、ますます、バルトークの「実像」が気になります。

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バルトークは、マーラーと並んで柴田南雄(大部の著作集まで出るそうですね、大半は歴史的文献で今読み返す価値があるか微妙だと思うのだけれど……)のお気に入りの音楽家でしたが、マーラーについては、最近、ほとんど告発本のノリで、この音楽家を悲劇の人と喧伝するのはおかしい、と主張する本が出た。

マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来 著者:前島良雄 (叢書 20世紀の芸術と文学 )[単行本]

マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来 著者:前島良雄 (叢書 20世紀の芸術と文学 )[単行本]

(a) 研究者には周知だが一般には知られていないこと、(b) 欧米の研究書では定説なのに日本には何故か伝わっていないこと、(c) 欧米の最新研究でもそうは言われていないけれど私はこう言いたい、という著者の主張、3者がごっちゃになって、とにかく、既存の何かを打ち壊そうとする姿勢が最初から最後まで続くので、ちょっと読み通すのがしんどいですが、「告発本」というスタイルを選択してしまうと、こうならざるを得ないのでしょうか。

柴田南雄のもう一人のお気に入りであるバルトークのほうは、マーラーのようなブームになっていないので、何を書いてもそこまでセンセーションにはならないと思いますが、だからこそ、ますます、トータルな伝記が読みたいです。

バルトーク:弦楽四重奏曲全集

バルトーク:弦楽四重奏曲全集

  • アーティスト: ハンガリー弦楽四重奏団,バルトーク,セーケイ(ゾルターン),カットナー(ミヒャエル),コムロサイ(デーネシュ),マジャール(ガブリエル)
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1999/07/01
  • メディア: CD
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ところでセーケイ・ゾルタンはカナダのバンフで亡くなったそうですが、20世紀のカルテットといえばバルトークで決まりだ、みたいな流れを作る上で、やはり彼の存在は大きかったのでしょうか。

今世紀までご存命だったようですけれど、セーケイって、どういう人だったのだろう……。