20世紀の作曲の「成果主義」が21世紀の作曲家研究を蝕みそうだ

クルト・ワイルの死後、妻のロッテ・レーニャが財団の形で夫の作品等を管理していて、クリティカル・エディションが進行中らしいのだが、

http://www.kwf.org/available-and-forthcoming-volumes

既刊のヴァイオリン作品の巻を読むと、初期の作品は専属契約を結んだ UE とのやりとりくらいしか資料が残っていないらしく、初演に向けての出演交渉や楽譜の管理、出版などをめぐる事務的なやりとりが序文で淡々と報告されている。

クリティカル・エディションのレポートはこういうものだからいいのだけれど、作曲家と出版社が打ち合わせしながら音楽祭や仲間内の定例会合にできるだけ良い条件で新作を出品できるように策を練る、という行動パターンは、たぶん今も変わらず、これが「終わりなき日常」なんだろうなあと思う。というより、こういう風に「制度」が整い、それに合わせて、学会発表や論文投稿で学者が業績を作るように作曲家がキャリアを積み重ねていく形は、徐々にそうなったんじゃなくて、まさにこの頃、「大戦争」第一次大戦のあとの業界再編で一挙にそうなったのかもしれないなあ、と思った。

(フィリップ・ロスの本もそういう見方をして、作曲家たちの国際協調路線を「国際連盟」になぞらえるわけですね。)

劇場のチームの一員として動いたり、自分が演奏したり、演奏家の仲間を持っていたりするのではない若手が世に出ようとしたら、まあ、こういうやり方しかないだろうし、それが「分業」ということですね。

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日本の作曲家たちの「海外進出」は何も戦後のゲンダイオンガクでスタートしたわけではなく、戦前から色々な取り組みがあるわけだが、貴志康一や大澤壽人が1930年代にパリやベルリンでいきなりオーケストラを雇って自作発表会をやるのは、既に20年代に彼の地の楽壇が組織化されてしまったあとだから、言葉は悪いけれど「イロモノ」に見えざるをえなかったかもしれないなあ、と思います。

作曲家の団体にアクセスしたり、東アジアに手をさしのべるチェレプニンやワインガルトナーの企画に応募するほうがお行儀がいいけれど、それは結局、何をやってることになるのだろう、という感じはありますよね。ジャパノロジストの集会に日本の作家やアーチストが呼ばれて、文学やサブカルチャーをひとしきり語って帰ってきたら、「国際的に認知された」ことになってしまうのと同じ構造なのだから……。

文句を言わずに「業績」を作っていると、そのうち、ニッポンでも作曲家を職業と認めて、音楽大学が作曲家を教授に迎える形ができたから、まあ、いちおう報われたわけですけれど、

抜群に譜面を読めたのであろう深井史郎や、札幌で早くからあれこれ情報収集していた伊福部昭が、「こら、アカンわ」って感じで映画に転じたのは、状況をよくわかっていたんだろうと思う。

そしてクルト・ワイルが「三文オペラ」を機に業績作りを止めちゃうのは、20世紀の秀才が「作曲の分業」に見切りを付けたハシリなんでしょうね。オペラもオワコンだけど、コンサート音楽も、こりゃ終わってるな、と思いますわ。

バルトークのような、戦後の成果主義の前から活動している世代が、コンサート音楽で「必勝パターン」を狙うようになるのは、こういう状況の変化のなかで埋没しないための処世術だったのでしょう。旧世代には旧世代なりの苦労があった。

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そんなことを考えながら、あらためてバルトークのカルテットを聴いていたのですが、バルトークにしてもショスタコーヴィチにしても、弦楽四重奏が特別なジャンルになるのは、特定の団体を想定したわけじゃない曲もあるでしょうし、当初のアテが外れて別の団体が初演したケースもあるようですが、とにかくこんな譜面を書いたのは、弾いてくれそうな人、譜面を読んで意味のわかる人が身近にいたからですよね。

カルテットの父ベートーヴェンだって、晩年は同じような境遇になったんだ、と思いながら書くのでしょうが、やっぱり作曲家も大変ですね。

「現代音楽は聴衆から遊離した自己満足でケシカラン」とか、そんな単純な話じゃないわ。ガキがお手軽に批判本書いて気持ち良くなれる分野じゃなさそうだよ(笑)。

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そして洋楽研究について思う。

一人の学者が一人の作曲家の専門家としてやっていく、というパターンがあるわけですが、これでやっていけるのは、おそらく、「大作曲家」然とした活動形態の最後の世代、バルトークとかシェーンベルクとか、そのあたりまでですよね。そしてこのあたりは、そろそろ基本的な「紹介」が終わりつつある。

学会の発表の題目とかみていると、20世紀前半の、そういうスタイルで研究できそうな作曲家たちについては、北欧・東欧・北米・南米・日本まで範囲を広げたうえで、過去10年くらいの間に出てきた皆さんが猛烈な争奪戦を展開して、もう、めぼしい鉱脈はなさそうに見える。

さあ、どうしますか、ということでしょうねえ。

資源の枯渇、ですよ。

「成果主義」の業務・業績作りが延々と続くタイプの作曲家の人生を、自分たちの業務・業績作りとして研究するのって、蛇が自分のしっぽを食べてるみたいなことになっちゃいますもんねえ。