「……。」

それはそれとして、このエッゲブレヒト本の裏返しのような本があってもよいのではないか。すなわち、イタリア・オペラを是とする(ということは、ドイツ系のお堅い音楽など一顧だにしない)立場からの音楽史が当事者によって書かれれば、どれほど面白いものになるだろう。

このガキは、彼が嫌いな時の為政者よりはるかに好戦的だ。しかも最初から「高みの見物」で他人にケンカをけしかけるのは、ヒトとしてどうよ。エッゲブレヒト云々は岡田暁生の受け売りで、彼が研究者として現役だった頃の仕事はほとんど何も読んでないはず。

リベラルな金持ちは嫌われるのに体制的な貧乏人はなぜ好まれるのだろう。

金持ちでも貧乏人でも、無責任な人間はそれなりにしか扱われない。

「自分は始めからおかしいと思っていた」

中島岳志自身が真っ先にそう言いそうだ。

阪大美学は、教官の年齢構成の関係でまともな美学概論(プラトンからハイデガーあたりまでを数年かけて淡々と講述する、とか、そういうの)が存在しない時期がしばらくあって、増田聡や大久保賢はその時代の学生になる。哲学的な基礎なしに人文科学をやると、ヒトとしてダメなんだということが、年月を経てますますはっきりしてきた。

(基礎がないから、「そんなことありません」という反論自体が頓珍漢で、泥沼にはまっていくわけだ。やっぱり促成栽培はダメなのね。)