民主化の珍事

ここでは伏せておきたいポイントを無事通過したので、再び書く。

バンド・ジャーナル1986年5月号のTOPICS欄(32-33頁)は、最初に「関西2つのコンサート、淀工と阪急の場合」という記事があって、淀工の第24回グリーン・コンサート(1986年2月4日、フェスティバルホール)と阪急少年音楽隊第27回定期演奏会(1986年2月22日、ザ・シンフォニーホール)を紹介したうえで、こう結んでいる(執筆は海野紀彦)。

コンサートを成功させるためには、“聴かせる演奏”が大切なことはいうまでもないが、その内容の「企画」と「構成・演出」も大きな要素であることを教えられる二つのコンサートだった。(32頁)

見開きの反対のページには、吹奏楽の雑誌なのだけれども、「日本人としての小澤征爾、そしてボストン響」という藤田由之のレポートが写真入りで載っている。小澤とは3回目の来日でマーラーの3番などをやったらしい。

そして95ページには、

「アルフレッド・リード日本縦断コンサート&クリニック」

というアカデミック音楽事務所の広告がある。(4度目の来日で、クリニックという形でのアマチュアとの交流はこの年が最初だったようです。→こちらを参照させていただきました。http://www.asahi-net.or.jp/~zi6y-mrkm/1_reed/reed_japan.html

少なくとも雑誌の誌面上では、ローカルとグローバル、吹奏楽(ウィンド・オーケストラという言葉が使われはじめていた)とオーケストラをフラットに行き来できるかのようだ。

そして同年7月号の同じTOPICS欄には、

「音楽の体験とか勉強についてもう一言 稲垣征夫」

という記事があり、前年の全日本吹奏楽コンクールについての汐澤安彦の朝日新聞(←出たよ!)紙上での発言が引用されている。

「技術的には完全で文句のつけようがないけれど、音楽として何かしっくりこない」

と汐澤安彦は書いたらしい。

そうだよ、みんな、もっと音楽を楽しもうよ!

で、汐澤安彦という名前は、1970年代から吹奏楽のレコードやコンサートの指揮者としてこの世界ではおなじみだったわけだが、

この記事の隣には、汐澤安彦をメイン・ステージの指揮者に迎えた関西学生吹奏楽連盟合同演奏会(1986年5月5日、尼崎市アルカイックホール)のレポートが出ている。この演奏会の一番最初に「春の猟犬」を指揮したのは、記事には幸い名前が出ずに済んでいるが、大阪大学吹奏楽団の白石知雄さんなので、困ったものだと思う。こんなアマチュアもアマチュアな演奏会のレポートと小澤征爾を同じコーナーで紹介してしまうところから、吹奏楽のイケイケぶりがわかる。

当事者のひとりとして、重く受け止めたい。他人が気にする必要のない微生物のようなコダワリに過ぎないが……。

(「新人類」中森明夫とか、この頃出てきた人たちは、こんなカワイイ恥じらいの遙か上空で、成層圏を突破した感じに色々やったみたいだからねえ。秋元康がプロデュースしたアイドル・グループさんとか、ニューアカとか、もう無茶苦茶になってる頃ですね。「あまちゃん」のおとぎ話で国民を感動させたから、もう、全部チャラになった、とか思ってもらったら困るよ(笑)。)