劣ることによる優越感

「軍隊を持たない国で外交官になってどうする。小和田はバカな奴だ」

私の乏しい伝聞情報では江藤淳の保守思想というのはこんな感じに威張る先祖へのコンプレックスが原点にあって、実際に小和田家の娘さんが苦労していらっしゃるわけだから、大きい声では言えないけれども、そうなのかもねえ、みたいにささやきあう階層が、東京あたりにはきっといるんだろうなあと思う。

ニッポンジンはディベートが下手だ、という話も似た構造に迷い込むところがあって、連合国の常任メンバーとして会議の席に着く権利をゲットできていない国が討論のスキルを磨いてどーするんだ、と、言えば言えてしまうかもしれない。旧枢軸国同士で慰め合うのがせいせいなんじゃね、とか……。

ま、だからこその超高密度・痛快抱腹絶倒・全世界が笑いと涙に包まれる視覚情報文化のクール・ジャパン、ということだったわけでしょう。「声」を制圧されているから、こっちは二次元へ潜りこむぜ。リアルな「発言力」はないけれど、二次元表象に怨霊のように張り付いているニッポンの声優の姿の見えないささやきが全地球、いや、全宇宙に響き渡れば、むしろこれは負けて勝つことになるのだよ、みたいな。

あと、ジャポニスムな木と紙の文化、という伝統と格式の基本コンテンツも用意されていることですし、最近では、この種の「闇の王国」は、無限に複製可能なテクノロジーでエンパワーされて永久不滅、との未確認情報もある。

それはそれでうまく回っているからいいとは思うし、この種の「文化の吹きだまり」感満点な有様がこの島に似合ってしまうのは色々考えさせるけれども、とりあえず、アベノミクスとやらで騒々しいご時世に超然としたり、そこから次の展開が期待される拠点として有望かというと、それはちょっと違うような気がするんだけどね。

(私の感触では、そういう世相にのっかろうとした/のっかってしまったあたりから、吹奏楽も、むしろ、つまらなくなったように思える。情報量が増えても、弛緩してクオリティは下がっている印象を与えるんだよね。ある時点からあとになると……。)