ヴァイオリンはモノラル録音のほうが引き立つ?

たまには複製技術のことも書いてみる(笑)。

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パリの往年のギャルド・レピュブリケーヌや若い頃のモーリス・アンドレ、フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル、このあたりの華麗な音色に魅せられ、吹奏楽もまんざらではないと思うようになった、戦後のある時期には、こういう人たちがいたらしきことが当時の文章から推察される。

なかでも、録音エンジニアさんが、「このブラス・サウンドを録音したい!」と焚きつけられた形跡がある。

オーケストラもそうだと思うのですが、戦後のステレオ方式の録音・再生技術の開発は、金管サウンドの人気を後押ししたんじゃないかと思うんです。(モノラルだと強烈なブラスサウンドは他をツブしちゃいそうですもんね。)

そしてここで思い起こされるのは、モノラルSPの技術は、あとから振り返ると、どうやら弦楽器や歌(人間の声)に有利だったのではないかということ。

オイストラフやハイフェッツは、若い頃のほうが弾けていた、というのもあるでしょうけれど、モノラル録音のほうが凄い感じに聞こえますよね。ホロヴィッツやグールドのピアノのカキっとしたスタイルも、ステレオ時代になってマルチにスゴイことがわかってきたけれど、モノラルで十分以上にすごさが伝わる演奏スタイルですよね。

もう21世紀なのだから、写真家が表現として敢えてモノクロを選ぶことがあるように、「私のスタイルはモノラル向きだ」とか、「今度のアルバムのコンセプトにはモノラルが合っている」と考える音楽家が出てきたりしないものだろうか。

で、モノラルを重視するがゆえに、音が広がって分離してしまうコンサートでは絶対に演奏しない、とか。

21世紀のグレン・グールドはこれじゃないか。

(簡単に思いつくことなので、既にそういう人がいたりするかもしれないけれど……。でも、20世紀前半の音楽は、クラシックであれジャズ、ポピュラー音楽であれ、レコード歌謡であれ放送音楽であれ、「モノラル録音」のほうがHIP(Historical Informed Performance)だ!というリクツはあり得そうですよね。ビブラート云々より、こっちのほうが刺激的じゃないだろうか。

電子音楽の川崎さんあたりが、モノラルゆえの前衛性みたいなことを初期テープ音楽を素材に語ってくれたりすると、突破口が開けるのでは? ステレオサウンドにヒトはそろそろ飽きてもいい頃合いではないか。)