セリエルはすぐに見分けがつくから安全安心

http://ml.naxos.jp/album/8.223940

1960〜80年頃の大阪のゲンダイオンガクの批評記事をまとめて読みながら、1922年生まれの上海の作曲家さんの交響曲を聴くのは、すごい不思議な感じ。上海でオーケストラに開眼した朝比奈さんが大阪に作った交響楽団は、この人たちの親戚みたいなものなんじゃないかという気がしてくる。

ショスタコーヴィチとかプロコフィエフとか、あと、ちょっとだけストラヴィンスキーとかメシアン(?)とか、同じような音楽の影響下でオーケストラをやっていたわけですね。

そしてそういうなかに十二の半音の音列が出てくると、ああ来た来たってすぐわかりますよね。

ピッポッパ、ブッ....ペッポ、ピ〜〜パッヒャ〜/ド〜〜〜ッピョプッ

みたいに、たいてい3つずつの音の連なりが4つ並んで、「これですよ〜」と周りから区別できるようになってますもんね。

ダイヤル式電話のジジジジジとプッシュホン方式の合成音がすぐわかるのと同じくらい簡単に、アナログ音楽と十二音は見分けがつく。ボタンが12個並んでる電話だと思えばいい(笑)。

(ただし、この交響曲はそこまで入れ込んでませんが、本格派のセリーだと、一音一音を神聖な水晶玉であるかのように大切に押し頂いて、それぞれの質感を異様に磨き上げる儀式になって、この儀式めいた所作が加わると、むしろ十二音は他と区別するのが一層ラクになりますよね。特有の空気感を醸し出すので……。)

これが「難解だ」と言われたのは、本当に難しいんじゃなくて、見慣れないものには近づきたくない、という違和感が大きかったし、使う方も、新しいガジェットを見せびらかすようにこれみよがしに使って、摩擦を面白がってたところがあったんじゃないでしょうか。

むしろ、中学生高校生だったら、すぐに面白がって飛びつきそうなファッションですよね。

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それで思い出すのが黛敏郎の涅槃交響曲の話で、梵鐘の波形をフーリエ変換で解析した作品だからスペクトラム楽派を大胆に先取りしている、といって、パリのIRCAMあたりの音楽家に聴かせたら、十二音の「ピッポッパ……」が出てくるところで彼の地の人たちが、こりゃダメだ、と、ガッカリした、という……。

言ってることは先見の明があるかもしれないけど、その髪型はないだろう、キミどこの中学?みたいなことになるわけか。やっぱりパリは嫌なところだ(笑)。

逆に、ショスタコーヴィチ風交響曲のなかにセリーが出てくると、朝比奈さんが案外嬉しそうに電化製品をいじってる絵が浮かびますね。朝比奈さんはシェーンベルクの管弦楽の変奏曲の日本初演を振った指揮者だったりするし、上海の大家もそんな感じがする。