文章の最後をビシっと決めたい!

http://d.hatena.ne.jp/smasuda/20140926

その「大きな物語」はたぶん誰も(昔のマルクス主義や近代化論と違って)まじめに信じているものではない。

えっ、マジで、そうなの? オジサンは、近頃の若者たちが本気で壮大な話を信じているとばっかり思っていたよ。

でも、ちょっと待てよ。どうもこの文章、かっこよくフォームが決まりすぎてはいないだろうか。最後をビシっと決める、という様式感、一種の作文の「型」が先にあって、その鋳型に話を流し込んだ結果、最後がこういうオチになったんじゃないか。ビシっと型を決めたオレ、に書き手がわずかばかり酔っていたりするのではないか。

もって他山の石としたい。

http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/26110103.html

こっちはもっとわかりやすくて、おそらく、一日一回必ず何かブログに書くのを日課にしている人なので、とにかく話に決着をつけたくて、この人の作文のレパートリーとしては、最後に説教をするというのがひとつのパターンになっているんだと思う。

文章を書くのって、書いているうちに、言葉をヒトが書かされている感じになりやすいから要注意だよね。

(↑こういう風に、最後にふっと力を抜いて、ため口で気分を変えるパターンとか、さらにそこに、こうやって括弧付きで自分で自分にツッコムとか、わたくしも作文のアイデアがそんなにたくさんある人間ではないから、いつも同じような展開になってしまうが、でも、やっぱり最後のオチに他人を巻き込むのは好みじゃないな。自分の文章のケツは自分で拭きたいものである。

上の2つはブログだけど、ツイッターでも最後に相手にボールを投げ出す感じで終わるスタイルってあるじゃないですか。私は、あの書き方がものすごく嫌いなんですよね。読者に圧力をかけすぎだと思う。

読者の心をチクチクと刺すことで、おのれが抱える何らかの痛さ・辛さを片時忘れることができるかもしれないけれど、その痛さ・辛さはすぐにぶり返すんじゃないのかなあ、と思ってしまったりする。余計なことだったら許せ。でも、痛みを分かち合う、とか、そういう誘惑に屈するのは違うような気がするのです。)