立つ鳥の濁った跡

先日、図書館で昔の雑誌のページをめくりながら、何でもいいから痕跡を残しておいてくれたら、こうやってその跡をたどって色々考える人間が出てくることもあるのだし、立つ鳥は、濁っていてもいいから何か跡を残したほうがいいんじゃないかと思い至りまして、

そんなことを考えるうちに気がついた。

次の世代に負債を残さないのがいい生き方、ということになっているけれど、負債だって、立派な遺産だと発想を変えてもいいんじゃないか。借金はなく清潔だけれども中身がスカスカだったら、むしろ後に残されたものは薄っぺらい人生を送るしかなくなっちゃうかもしれない。

「先のことはわからない、何が幸いするかわからない」という言い方は、もっと拡大解釈していいんじゃないかなあ、と思ったのでした。

まあ、こんなことを言っても、潤沢な予算配分から漏れて、プライドをズタズタに引き裂かれ、死ね、と言われたも同然だと憤っている方面の方々には慰めにもならないかもしれないし、あるいは、失踪した父親を立派な人であったと合理化する、というのがいい人生なのかどうか、他人には何も言えなかったりするのだから、なおさら、無力な思いつきではあるが、目もくらむように莫大な借金というのは、なかなか豪快で元気の出る空想ではありますよね。自分ではそんな甲斐性ないけど、そんな蛮行でも、実行できたら打ちひしがれる無力感に一矢報いたことにはなるのかもしれない。

ローカル認定されてしまった大学が、湯水のように金を貸し付ける悪魔のようなパトロンを得て目もくらむ華々しい業績を上げる、とか、いいのか悪いのかさっぱりわからない光景ではあるけれども、想像するだけで、多少、発想が自由になったりはしない、かな。

あるいは、育英会からの借金をどうすれば返さずに逃げ延びることができるか、法律や経済のそうした実践的(?)な知識をみっちり仕込まれた学生を量産する大学がイノベーティヴな経営者を輩出して一躍人気沸騰、次々関連姉妹校を作るビジネス・スクールとして繁盛する、とか。

座して死を待つなら、いっそ……。

文明発祥の地ギリシャは、定期的に経営破綻して、かえってそのおかげで生き延びていたりするらしいじゃないですか(←たぶん、かなり間違った理解だと思うけれど)。