「わざと合わないように作曲する」

「わざと合わないように作曲する」が可能なのは、普通に書いた箇所を合わせられる環境あってこそであり、一時の閃きや熱狂では「ぴたりと合う」システムを抜けられないということでもある。シベリウスやストラヴィンスキーが前提した19世紀のオーケストラ音楽はそこまで来ていたということです。

(次に出るドゥダメルVPOのシベリウス評は奇しくもこの話とも絡む予定。)

フルベン流の「縄抜け」の黒魔術は、そんな20世紀が生んだあだ花だと私は思う。