ポ〜ンとひとつの音が鳴り響く“そのとき”へと美しく収斂するように持っていくのがライブパフォーマンスへの上手なナビゲーションなんじゃないかな、どうでもいいけど

“そのとき”が近づくにつれて、ワンワンガンガン色々なものが投入されて脳内でランダムに響いちゃう感じになると、ちょっと辛いよね。

実際にやってることはわずかしか違わないんだと思うんだけど、でも、決定的な差が生まれるような気がするんだよね。

たぶん人は、そういうときに「センス」という言葉を使う。

(今の大阪のクラシックコンサート事業は、一昔前なら大手ががっちり大事なところを盤石に押さえていたのが、色々な巡り合わせて注目公演を実質「あの人のところ」と個人を特定できる感じの音楽堂が引き受けることが多い配分になっていて、だから、何かと大変なのだろうということは傍目にも想像できるわけだが、でも、半分は自分たちが率先して手を挙げた形でもあり、一時退避じゃなくこれを当面は続けたい心づもりなのであればなおさら、相応の覚悟でやってくれと言わざるを得ない。

普通の会社員だった次男三男が急に老舗の跡取りになった、とか、それまで歌舞伎とは縁が無かったのがやっぱり猿之助を継ぐことになるとか、なんか、そういうのに近い話のように思うわけだが、芸事の世界は、外からは華やかな別世界に見えるけれども、台所事情は零細だったりするのは今も昔も普通のことなので、まあ、こういうことは起こりうるのだし、やるというのであれば、やってもらわざるを得まい。お家断絶よりはマシだ、というところで、あんまりおかしなことにならないラインでなんとかしてくれ。)