女房役

朝比奈隆は大阪フィル創設以後、公式の数え方で37回(大阪フィルの欧州公演、北米公演、それから指揮はしなかったプラハの春音楽祭への招待を入れると40回)指揮者として海外へ出ているようだ。

そして関西音楽新聞は、ごく僅かの何らかの都合による例外はあるが、毎回事前にスケジュールを告知して、帰国後のフォロー記事and/or現地での批評の抜粋を掲載している。

同紙は、関西交響楽協会(のちの大阪フィルハーモニー協会)が発行していたので、自分のところのオーケストラのシェフの動静だから、広報するのが当然とも言えるけれど、送迎をきっちりやるのが留守を守る者の務め、という感じで、なるほど野口幸助は「女房役」だったのだなあ、と痛感させられる。

積もり積もって記事は総数で100を越えますからねえ。

定型フォーマットの「書類」を作るのではなくて、曲がりなりにも情報誌の体裁で、何らかの読者の目を止めさせる話題が入る形に工夫した文章を次から次へと100以上生産したということですから、手間暇かかってる。

そうした「記事」を生産しうるような内容のある欧州詣でを最後まで続けたのが、朝比奈隆の指揮者としての足腰の基礎なわけだが、扱いが回ごとに少しずつ変化したりするところに、何十年も続けるってのはこういうことなのか、と形を変えてそれを追体験した気にさせられる。

      • -

で、本当に全部広報したのかしなかったのか、どれが例外なのかということは、当然ながら同紙を全部順にみていかないと確かなことが言えない。

こういう作業をしていると、人文科学にも地味〜な「基礎研究」というのがあるよなあ、と思う。

(実際にやってみると、一度全部見て、結果をリストアップして、ここ、なんか変じゃないか、もしかして見落とし、みたいなところをもう一回見直して……ということになって手間暇かかって、精度を上げるのは結構根気が要るのがわかってきた。大量の文献を読む、というのとも、似たところはあるけれど、やはりちょっと違う作業ですよねえ。

調べ物の達人な方々に比べたら、こんなのは全然カワイイまねごとに過ぎないとは思うけれど。)

ーーーー

ちなみに、もし朝比奈隆の動静を知りたいと思ったら、1954年以後のことは関西音楽新聞に目を通したら相当細かく項目を拾うことができるし、大阪音大の音楽博物館は、そこに出てくるコンサートに関する資料だったら、ほぼ9割方揃っている。

これから朝比奈隆の評伝を本気で書こうという人がいたら、まずこれを全部見ないとダメやと思う。

そういう基礎データをもたずに、既存の本を読んでレコード聴いただけでいきなり関係者にインタビューとか、そんなん、めちゃ失礼やで。まず、その人たちが何をやってきたのか、知ってから来い、ということになるのは当然や。

朝比奈隆については、こんな感じで、どこで何をやれば評伝を書けるか、行程は見えているので、あとは、ホントにやるかどうか、時間と労力とやる気の問題。

やるんだったら、すぐ取りかかったほうがええよ。

一方、同じ時期のソリストとして大きな存在だった辻久子さんの場合は、演奏活動が関西に限定されないので、データ集めは格段に難しい。

でも、朝比奈隆と辻久子のちゃんとした評伝は必要じゃないかという気がするからなあ。

まじで誰かやってください。

あと、最近話題の大阪市音楽団は、軍楽隊時代のことについては大音の博物館でかなり色々資料を持っていて、既に整理等もなされているし、大阪市音楽団自身の経歴はかなり詳しい記念誌がある。だからデータを揃えるのはそれほど難しくないけれど、それだけでは二番煎じ(既存研究の要約)にしかならなくて、このデータを今世に出して意味がある形にするためには、この楽団をとりまく環境、日本の軍楽隊と吹奏楽とは何であったのか等々をどう語るか、そこが難しいと思う。そして軍楽隊と吹奏楽の本格的な「研究」は、ほんとにまだこれからですよね。データはあっても調理法がよくわかからない。

(戸山の陸軍軍楽隊の話とか、今、自衛隊音楽隊はどうなっているのか、とか、そのあたりの既存の情報を上手に組み合わせたら、今すぐでも器用な人なら新書一冊くらいは書ける人がいるんじゃないか、別に学者や音楽の専門家じゃなくても、プロのライターさんなら、軍楽隊とその末裔のお話で、誰かが何か本を作っても不思議じゃなさそうだとは思いますが……。)

昭和の大阪の洋楽が結構な隆盛を誇ってひとつの時代を築いたのは間違いのないことだから、このあたり、どうにかせんといかんよねえ。人が死んで、モノがどっかへ埋もれていったら、何もなかったことになってまうで。ほんまにそれでいいのんか、ゆう話やからねえ。

過去は全部なかったことにしたい、みたいなアホの言いなりになるのは、情けなさ過ぎるからねえ。