1958年のO氏と2014年のO氏

作曲家の発言

関西楽団[楽壇、の誤記か?]でもつとも停滞気味の作曲活動が、そろそろ永い眠りからさめて活発に動きかけている。この時期に当つて、本紙は二人の作曲家の意見を聞いてみることにした。

モーツァルトこそ私の師 大栗裕

メシアンの「トゥランガリラ交響曲」、オルフの「カルミナ・ブラーナ」そこへもう一つシュトックハウゼンの「電子音楽」の三つのスコアを並べてみたら一寸愉快な風景ではないだろうか。勿論私はこの三曲が凡ての現代音楽の方向を示しているという意味で云ったのではなく、只任意に私の貧弱極まる書架から取り出したに過ぎない。
メシアンのうたは各頁とも複雑なアラベスク模様で充たされているのに比べて、オルフのそれは何と単純極まる図柄だろう。そしてシュトックハウゼンに至っては今までの音楽的知識ではもう手掛りが全くつかめない幾何学的な四角形、矩形や三角形に色々な数字が入り乱れて、あわて者の私などは見ただけで頭の痛くなるようなものである。
之を見て作曲の技法がここ約二百年前のモーツァルトの頃から進歩したのか、発展したのかそれは兎も角として大きな変化があった事に今さら乍ら驚くのである。[……]
(『関西芸術』1958年6月20日号、2頁)

大栗裕がまるで大久保賢かと思うようなトボけたことを書いている(笑)。

いや、そうじゃないか。

1958年、20世紀音楽研究所なんていうのができたりして、「嵐の予感」だったのかもしれないご時世にトボけて見せるから「ひとつの立場」なんで、2014年にこれを書いたら、「おじいちゃん、まだ、そんなこと言ってるの」ということになるな。

大栗裕は、まがりなりにも、シュトゥッケンシュミット(あの吉田秀和の「友人」だ!)に自作を聴かれ、批評されちゃった注目の人である、という設定でこういう漫談をしているわけで……。

色々と使えそうな発言なので、今はまだとくにコメントは致しません。

紙面では、ヒマネタという感じに、大栗裕ともうひとり、岡田昌大のエッセイ「誠意と信念を持つて創作に」が掲載されています。