「あの配置、いつものことなので今さら驚かれても……」

(ノリントン&チューリッヒ室内管が大阪のみ、東京を素通りしたことに関西人がガッツポーズの図、は、まあ、それでいいと思うのだけれど、あんな風な配置のピアノ協奏曲は、既にN響などでもやっていたのをテレビで観た記憶がある。そこは、「ああ、またやってるな」とスルーしないと、お江戸のすれっからしな連中につけいるスキを与えちゃうよ。ケンカするときは、防御も大事ヨ(笑)。言うだけ言わせて、最後に美味しいとこ全部もってけばそれで採算は取れている、ってのが連中の常套手段だからね。家康ってそんな感じでしょ。

あと、ついでに言っとくと、私は「冬期オリンピック・メソッド」とか「F1メソッド」と勝手に呼んでいるが、辺境の連中がゲームを徹底的に研究して台頭すると、ゲームのルール自体を変えてリセットしちゃう、というのがあるから気をつけようね。

マクラーレン・ホンダの最強ターボエンジンとか、スキーの常勝ジャンプ・チームがやられちゃったやつね。

東京は、どうしても勝てないとみれば、これを仕掛けてくる。昭和30年代の関西のオペラは、「もう日本人でオペラを自炊するのはやめて、外国から劇場まるごと呼べばいいじゃん」という新ルールを東京が勝手に設定したことで一度死んだわけです。

万博のときも、オリンピックまでは散々盛り上げたくせに、「これで祭りは終わりだな」って70年代に東京が勝手に終了宣言して、そのあとは全部代理店が仕切るおかしな事業になっちゃったでしょ?

そんな風にあっちこっちへ振り回されて、目端の利いたのが振り落とされて、そうして気が付いたら、結局、朝比奈とか米朝とか、そういうタイプの人たちが生き残ったわけですわ。長期的には、もういっかいそういうサイクルになるんだろうと思いながら、私はながめているんですけどね。

たとえば、ピリオドとかピュアトーン(ノリントンが偏愛しているのはたぶん「声のハーモニー」、合唱のように楽器を響かせたいということだと思う)も、連中はそのうち飽きると思う。まあ、礒山先生が元気でいる間くらいはこのままいけると思うけど、引退した頃合いには世間の風向きが変わっている可能性が大いにある。(だってリーダー格の人たち、みんなもう老人じゃん。)

あそこのホールは、会場にピュアな響きが快適に広がるコンセプトで設備や楽器に相当つぎこんでいるから、この流れが変わったら痛いと思う。何か他に保険かけといたほうがいいと思うんだよね。

そういう意味合いを込めて、今回は既に老人であるノリントンじゃなく、わたくしとしては「リム推し」だし、現象としての「ピュア」(耳に心地よく癒やされる〜)みたいな浅い話でなく、本気で合唱を受け止めろって言ってるわけよ。)