- 作者: フレデリック・ルノワール,今枝由郎,富樫瓔子
- 出版社/メーカー: トランスビュー
- 発売日: 2010/09/02
- メディア: 単行本
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「日本人は百年来、西洋音楽に親しんでおり、もはや、日本音楽を異文化と感じるまでになっている」という言い方がある。既にシュトゥッケンシュミット(の朝比奈評)にそうした趣旨の文言があるので、昨日今日の話ではない。(シュトゥッケンシュミットが1956年の段階でそのように書くことができた情報源は、その数年前に知り合った吉田秀和なのではないかと私は推測している。)
同じ論法で、「日本人は百年来、キリスト教に親しんでおり、もはや、仏教を異教と感じるまでになっている」と言える……だろうか? (仏教はもともとインドから中国経由で伝来した「漢意」なのだから、日本音楽と同列には扱えない、というような議論はひとまず脇におくとして。)
クプファーが日本の国立の歌劇場に三人の僧侶を登場させたことについて、わたしらが何か言おうとすると、案外色々やっかいなことになりそうだ。
でも、何か言おうぜ。
[追記:私は、「日本人の大半が無宗教、もしくは、なんでもありだ」というのは、実はウソだろうと思っている。
宗教の定義という問題もあるし、「大半」って何パーセントだよ、数えたんかい!という、子どものケンカのような反論を、この件に関してはマジでやっていいんじゃないかと思っているし、それより何より、書店に行ってごらんなさいよ。どうしてあんなに宗教・精神世界コーナーに大きなスペースが割かれているのか、ということもある。
「日本人の大半は……」と言えてしまえる人は、「無宗教、もしくは、なんでもあり」でない人々のことを透明人間であるかのように意識から排除しているんじゃないかと思う。でも、そういう人たちの姿を透明人間じゃなく可視化する視座があるはずだ。そしてそういう視座を見つけてからじゃないと、クプファーに対して何も言えない。だからやっかいだし、でも、やらなきゃだめだよ、と思うのですよ。
「日本人の大半は……」なる言い方は、平和ボケならぬ無宗教ボケだと思うな。]