ウィーンのアンダーグラウンド

私は、シューベルトが孤独で気弱な引きこもりのイメージを身にまとっているのは、王政復古期のウィーンで官憲・検閲を逃れて自由人として活動しようとした一種のアナーキストだったからなのではないか、という1970年代のドイツで流行った説が当たっているのではないかと思っている。

新左翼が地下へ潜って企業テロが西側諸国で頻発した1970年代には、その種の組織が、死滅しない程度にしぶとく生き延びられるものだし、なぜそうなのか、ということが経験的にわかったんじゃないか。

本当に孤立した人間は、あれほど巧みに「孤立のイメージ」を構成しないし、できないと思う。

シューベルトは賢い少年だったようだし、座して死を待つような生き方はしていない。シューベルトをそういう人だと信じて共感する例は少なくないと思うけれど、万が一「死後の世界」というものがあったとしたら(←接続法です、実際にはありません)、そしてそこでシューベルト・ファンがご本人に会って話をすることができたら、「こんな人とは思っていなかった、ダマサレタ」と落胆するんじゃなかろうか。

それくらいに思っておくほうが、この世で道を踏み外す危険は少なかろう。