プログラム執筆と批評

  ⇒音楽の友12月号 演奏会評 

東条碩夫のコンサート日記 10・23(木)井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

曲目解説を執筆した人物がしれっと『音楽の友』の公演評を書くのは、よほどの事情がなければ反則だと思うので、音楽之友社編集部は、今後、善処していただきたい。よりによって、首席指揮者の病後の復帰演奏会は、東京からはわからんかもしらんが、関西では注目度の高い公演ですよ。そこでこれはないでしょう。

関西は書き手が少ないので、関西のなかで人をやりくりしようとすると、どうしてもそういうことが起きてしまうことはある。

(私は、音友にはめったに書かないけれど、日経に批評を書いており、そういう「兼任」が常態化するのはフェアじゃないと思ったので、大フィル定期の解説をこちらから申し出て2年で降りた。)

それから、名前を売りたいとか、生活のため、とか、とにかく来た仕事は全部受けるという態度にこの業種がなりがちなのもわかる。

しかしだ。

あなた、そういう立場じゃないでしょう、既に。

関西の演奏会の解説・批評の両方を東京の人間、しかも、人が少なくないはずの東京の人間のなかから、よりによって同一人物がひとつの演奏会の解説と批評を兼ねるのは、よほどの理由がないと癒着の疑惑をもたれてもいたしかたないのではないだろうか。

たとえ、関係者に悪気がなかったとしても、こういうことが横行すると、書いた人間ではなく、原稿を依頼して「書かれた」音楽家・音楽団体が迷惑します。(公平に書いてもらおうと思ってるのに、まるで、接待して、お手盛りでいい風に書いてもらったかのように部外者から見えてしまうじゃないですか。)

東条さん、出版社はそこまでいちいちチェックできないのだから、書き手が自己管理しないとダメですよ。

[あと、終演後に楽屋をうろちょろして、オペラの出演者の記念写真に写り込んじゃう、というのも、ちょっと恥ずかしいっすよ。]

(ちなみに、関西には音楽評論家の親睦団体、音楽クリティッククラブというのがありますが、あの団体は、成り立ちのいきさつなどは知りませんが、少なくともその後の運営をみるかぎり、評論家という仕事がともすれば自堕落な言いたい放題、やりたい放題になりがちなことへの自戒、相互啓発で自浄作用をもつようにしましょう、ということで存在しているのだと、私は考えております。たとえば、だからこそ、特定の音楽団体等と恒常的な関係を持っている人には、ご入会をご遠慮いただいたりしています。関西の音楽評論家は、外からどう見えているか、色々ご意見はあるだろうけれど、そういう自律のポリシーでやっております。ご参考まで。)

[まさかとは思うけど、楽屋に足繁く通ううちに、ミチヨシから何か吹き込まれて、彼に凋落されて正常な判断ができなくなっている、とかいうんじゃないでしょうね。ミチヨシは舞台人としては希有な存在で、そのまま良い仕事を続けて欲しいと思うけど、社会人としてはぶっ飛んで、とんでもないところがあるわけじゃないですか。生半可な態度で近づいていい相手じゃないですよ。せっかく大フィルがいい感じに動き出しているときに、あんたが足引っ張ってどうするか、バカモノ!]