ピアソラの「タンゴの歴史」。まあ色々なクラシック演奏家が取りあげるわけですけれど、日本にはとっても詳しいピアソラ研究家がいらっしゃるので本を調べたら成り立ちはそれでわかる。
委嘱&初演者の名前もわかるので、iTunes Storeへ行ってみると、1986年にリリースされた録音を購入できる。
情報社会です!
(クラシック演奏家のタンゴ/ピアソラに対して、斎藤充正さんがなで切りという感じに厳しいことまですぐにわかってしまう。)
で、ピアソラがヨーロッパへ行ってオーケストラとコンチェルトで共演することを強く望んでいた時期、ということのようなのですが、そういうなかで国際フェスティバルの芸術監督からフルートとギターのデュオを委嘱されるというのはどういうことだったのか、今改めて考えてみると、ひょっとしたら、武満徹の工業化で精度の上がったドビュッシー風サウンドに一定の需要があったのとそれほど違わないことだったのではないか。
ピアソラが西洋の伝統的・古典的な音楽(クラシック音楽)に「新風を吹き込んだ」のは確かだとしても、それはIRCAMやダルムシュタットに出入りするような人たちとは別ジャンルですよね。そのことは、それほどヨーロッパ事情に詳しくなくても(含む、わたし)、きっとそうだろうと予想が付く。
一方、武満徹は、日本国内的には戦後現代音楽の出世頭、外国の音楽家とオトモダチである国際人だったわけですけれども、そういう、いわゆる「シリアス・ミュージック」の20世紀の歴史は、(この高踏的な概念を肯定するかどうかはともかく)たぶん武満徹なしでも書ける。
タンゴに比べればもちろんドビュッシーのほうがはるかに「シリアス寄り」だし、譜面の見た目は「現代音楽」ではあるけれど、ポジションとしてはこっちだったんじゃないだろうか。
いや、なんでそういうことを思うかというと、先日、VPOを指揮したドゥダメルを伊東信宏さんが朝日新聞で「ありゃ、楽員にハナから相手にされてないよ」と評したのが頭にあって、エル・システマが「新風を吹き込む」といっても、その「風」が吹き込むことのできる場所と、吹き込まない場所は、ちゃんと仕切られているんじゃないか、石造りの堅固な街だし……。壁の「中」に入れるかどうか、そこは勢いだけでは無理だろうなあ、と思ったりしたのでした。門の前で一人で大暴れして「憤死」は哀しすぎるから、今がひとつの正念場でしょう。
(そうかと思えば、個人と個人の信用で格式の高い場所へ招き入れられたりする局面があるかもしれないので、長いつきあいのなか、色んなことがあり、いろんな人が往来しているに過ぎないとも言えるが。)
戦前の日本人音楽家はベルリン・フィルを「買って」コンサートを開いていた。そういう書き方をしていい風潮に、ようやく世の中がなりつつあるみたい。
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これも、「興行師」がアーツ・マネジメントというカタカナ語で日陰の存在ではなくなったお陰でしょう。日の当たるところに出たことによって、口八丁手八丁に足枷が嵌まるのは、これぞ啓蒙のドイツ教養主義、「理性の狡知」という奴ですね。
[そして戦後の朝比奈隆は、「買う」のではないマネジメント契約をして欧州のオーケストラを指揮し続けたことが、次の世代の小澤征爾らに道を開いたとされているようです。そういうところは、やっぱり偉かったし、同じ年生まれのカラヤンがヨーロッパの興行を近代化した時代だったから入り込めたともいえる。アーツ・マネジメントは大事です。]