自家発電

「関西には全国レヴェルの音楽雑誌があるわけではないし、海外からアーチストを招聘する音楽事務所もない。そんな環境のなかで、どうして音楽ジャーナリズムが成立しているのだろう。そんな素朴な疑問を抱いた私は、関係者に取材してみることにした。

大阪在住の音楽評論家、白石知雄氏は語る。……」

……という風に自分のことを他人事にして上手に作文すると、トーキョーのオトモダチに誉めてもらえるのだろうか(笑)。

当人以外の大方の人は既に私の言いたいことの意味がおわかりかと思いますが、私は、こんな風に言葉だけが一人歩きして、なおかつ、それをメディアが容認するなどという状況はおかしい、と言っているわけです。

以上、いちおうダメオシで要点だけを再度お伝えした次第。

なんでこんなんがまかり通るのか。

私見では、とにかく書類上で体裁を整えることが最優先で、実態とズレていても、そんなことはどうにでもなる、みたいな風潮があるんじゃないかと危惧している。

それは無茶苦茶だし、そんな横車を押しまくる行為が通ってしまうのは何がどうなっているのか、薄気味悪い感じがする。

そんな場所に、まともな判断力を持った人間は近づきたくないでしょう、常識的に。めっちゃくちゃイメージダウンじゃん。

[ひょっとすると、10〜11月は各種助成等々の書類申請が集中する時期だから、業務で美辞麗句がたくさん詰まった作文を山のようにしなければいけなくて、頭を切り換えることができないまま、他の本来「私」を打ち出して書くことができる貴重な場においてすら、同じような「二重人格」が出てきてしまった、というような哀しい事態だったりするのかもしれず、だとしたら、それは一種の職業病なのかもしれないけれど、でも……、万が一そうだとしても、やっぱり過剰な美辞麗句で仕事の書類を飾らなければいけない状態がおかしい、という感覚を失ってはいけないと思う。そっちに引きずられて正気を失ってしまったら、人間として「負け」、越えてはいけない一線を越えた、ということになってしまうと思う。

大学の先生たちも、去年まではちょうど今頃の季節に、官庁のアホな指令に翻弄されて、あらゆる労力を費やして膨大な書類を書いていたが、どうやら今年は、アホらしすぎる、ということで、もうみんな、役所の顔を立てるのはホドホドにしよう、と腹をくくる傾向が強くなっているようだ。

次は民間公益団体が腹をくくる番だと思う。こんなん、やっとれるかあ、って、限度を超えたとき、言うべきときには言ったほうがいい。きっと必ずそういう潮目が来ると思う。明けない夜はない。]