粟國淳

セヴィリアの理髪師 ×、トゥーランドット ?、カンピエッロ ○、ロメジュリ(グノー) △、仮面舞踏会 ○、シモン・ボッカネグラ ?、フィガロの結婚 ○

関西での彼の演出を思い出すとこんな印象だが、これをどう考えればいいか。

群像劇やアンサンブル・オペラの人間関係をきれいに捌くのは天才的に上手だけれど、スター級のメイン数名とじっくり作り込まないといけない作品(ヴェルディやプッチーニにはそういうのが増える)は、アイデア倒れになったり、突っ込み不足になったりする、という感じか。

歌手と仲間意識をもって作れる環境ですくすく育つ感じの人なのでしょうが、今度はオテロをやるそうなので、「やっぱりこういうのは……」となるか、今度は違った、となるか。

まだ演出家としては若いですもんね。

いずみホールのフィガロの結婚は、関西の中堅に舞台を任せればちゃんと作ってくれるし、それがわかって応援するお客さんがしっかりついている。(それぞれに地元で地道な活動を続けている実力派ですからね。)なので、そういう人たちを集めた座組をすると、客席がいかにも劇場っぽい感じに賑わって、プラスの相乗効果、ということだと思います。

興行主の人たちには、そのことを是非知っておいていただきたい。

(そしてゼロ年代の関西のオペラは、「石橋栄実の時代」みたいなところがあったんじゃないか、とも思います。(並河さんは注目されてすぐに東京の二期会に入っちゃったし……。)カレッジ・オペラハウスが彼女を大事に育てた、ということもあるし、彼女のようなタイプの声・演技スタイル・キャラクターの人がスザンナのような役柄を演じるオペラが、当節の関西のお客さんにとってのオペラのストライクゾーン、直球ど真ん中、ということだと思う。最後のアリアは神がかってましたよね。新国の鑑賞教室でやっている「夕鶴」も、はまり過ぎくらいはまってますからねえ。)

[たぶん、東条あたりは石橋さんの演技スタイルあまり好きじゃないと思うが、また何かいらんこと言ってきたら「うっせーんだよ、バーカ」と無視すればよろしい。

オーケストラは、序曲がつんのめって危なっかしいし、2幕の後半は煽りすぎてうるさいし、指揮者が歌手のことしか言わない/言えない人だから、まあしょうがないのかな、という感じ。来年の「魔笛」も河原さんが指揮するんですねえ……。たぶん磯山センセがこの人に肩入れしているのでしょう。小さな小屋では、そういう人事がしばしば起きる。ときにはそれがプラスに働くこともあるしね。]