ヘルベチカってスイスなんだ&グラフィック・デザインにおけるスイスって、そういう国なんだ、ということを初めて知った。
- 作者: アランヴェイユ,柏木博,Alain Weill,遠藤ゆかり
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2005/07
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マンガって何なんだ、と考え始めると、絵と図形と文字が混在する紙面という点で、絵画だけじゃなくグラフィック・デザインが気になるじゃないですか。
で、グラフィック・デザインは19世紀末のアーツ・アンド・クラフツあたりから説き起こすのが定石で、そういう発想が出てくる前提として19世紀に大量印刷が可能になった技術的背景の説明が最初にある。
そうすると、ゼーネフェルダー(Johann Alois Senefelder)なる人物が18世紀末に偶然リトグラフの技術を発見した話が出てきて、ここで楽譜印刷の歴史とのつながりが見えてくる。
ブライトコプフの創業者の息子が紙と印刷の歴史を本にしたのはリトグラフの発明の直前で、家業の起源のようなものとして、グーテンベルク以前まで遡って木版印刷(トランプカートとか)のことを色々調べていたらしいのだけれど、
参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130930/p2
- 作者: ローターミュラー,Lothar M¨uller,三谷武司
- 出版社/メーカー: 東洋書林
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ブライトコプフから見ればライバルなのかもしれないオッフェンバッハのアンドレ社は、ゼーネフェルダーから技術提供を受けて、1800年頃にいちはやくリトグラフ(石版印刷、という言い方でいいのだろうか)の楽譜印刷を手がけたらしい。
きっとしっかりした研究・文献が既にあるのでしょうが、19世紀の様々な記号が美しく書き込まれた楽譜(いかにも「ロマン派」にふさわしいと思ってしまう)はリトグラフありきなのかもしれませんね。
19世紀の音楽は、リトグラフで美麗に印刷されて、やはりリトグラフありきで流行したのだと思われる絵入り新聞で報じられた。音楽が文学(とのつながりはもっと前から密接)のみならず絵画や視覚表現とそれまでとは違う仕方で連携していくのは、そういう19世紀の印刷術があってこそ、なのかもしれない。
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ただし、芸術としての音楽を「いわく言いがたいもの」とみなす理念は、「かくも高度に発達した最新の印刷技術をもってしても印刷しえないもの(が芸術の本質である)」の意味だった可能性は残る。
19世紀のE-Musikは一点物の油絵っぽく、U-Musikは量産リトグラフっぽい。
20世紀になって考案された五線を使わない様々な記譜法が「図形楽譜 Graphic Notetion」と総称されて、それじゃあ19世紀までの楽譜は「graphic」じゃないのかと疑惑を呼ぶ(疑り深い「文化相対主義者」は、この用語法に五線譜を普遍的なカノンだとみなす「西洋中心主義」があるんじゃないか、と騒ぎだしかねない)わけだが、19世紀の音楽はドローイング(絵)とみなされていた(コンサートや劇場へ行ったり、自力で楽器を操作しないと聴くことができない一点物だし)と考えれば、それとの対比で新しい記譜法がグラフィックと呼ばれのだ、という説明が成り立つのかもしれない。
一方20世紀のグラフィック・デザインは、ほぼ商業デザインでもあるわけで、ポピュラー音楽も、「ポピュラー」の向こう側に性急に大衆・民衆・人民の姿を想定してしまうことができないかもしれない「商業音楽」の領域が案外大きくて、色々、商業デザインの話とかぶるところがありそうですよね。
「ポピュラー音楽においては、聴衆こそが作者なのだ」というスローガンは、かっちょいいし、そうすると、社会学こそがポピュラー音楽の詩学なのだ、というCSっぽい話になったりするのだろうけれど、グラフィックとのアナロジーで、ポピュラー音楽のプロダクト・デザイン(とその変遷)みたいな話は、ひととおりドライにやっておいたほうがいいんだろうなあ、と思ったりする。
プロダクト・デザインの話がないと、20世紀においてなお「アート」を標榜しているタイプの音楽と、一種の工業製品として量産されているタイプの音楽を、イデオロギー抜きに比較することがいつまでたってもできないままだ。
[この話はここへ続く → http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150105/p2 ]