祝と呪

いや、だから、モダンな制度に付随する「伝統」が、何かの誕生や試練の通過、異者の到来などへの儀礼の作法に裏打ちされているか、形骸化しているか、という話なんだけど。

そういうときに、祝いより呪いの言葉が先に立ち、表に出るのは不気味だな、と。

ひょっとして、モダニティはすべからく不吉なり、という宗派なのか。