ショスタコーヴィチの処遇

年末にようやく観て、ソ連がイケイケだった時代の性の開放をめぐる議論と絡めた片山杜秀さんの解説がむちゃくちゃ刺激的だと思いましたが、そうした背景を知ってから目がチカチカする演出で下男と奥様の無言劇を眺めていると、スターリンの肩を持つつもりは毛頭ないけれども、ショスタコーヴィチは、ほっといたら何やらかすかわからないゲージツカだったと思われても仕方がない気がしてくる。

そしてこの頭のネジがぶっ飛んだ狂騒状態の音楽が、その前もその後も、この作曲家のトレードマークであり続けたのは否定できないし、戦争とか死の恐怖とか、そういう危機的状況を書くときが一番燃える人だったわけじゃないですか。

もしロシア/ソ連がもっとアヴァンギャルドに寛容な文化政策をとっていたらどうなったか、あるいは、ショスタコーヴィチが他の国に移住したらどうなったか?

そんな仮定はあまり意味がないけれど、やっぱり彼一流の嗅覚で、ネジがぶっ飛んだ狂騒状態が出現するような題材を見つけ出したんじゃないか、あるいは、スターリン時代のソ連ほどの強度と遭遇することなく、音楽もそれなりになってしまったのではないか?

そう考えると、ショスタコーヴィチという音楽家は、スターリン時代のソ連がいかに酷かったか、その時代の「悪」を証拠立てる存在というよりも、そういう不幸な時代にああいう生き方をしたことによって、ゲージツカというのは本当に始末に負えない存在だということを伝えているのではなかろうか。

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20世紀の半ばは、現れ方の違いはあれ、どこの国でも、ゲージツカのやっかいさが露呈した時期だったという風にまとめてはどうかという気がしております。オペラの運命ならぬ、モダニズム/アヴァンギャルドの運命、という感じ。

戦後の実験音楽は、良くも悪くも、その教訓を踏まえたうえで実験室に籠もった、隔離されたと見ればいいんじゃないか。

ちょうど核兵器開発が戦後の物理学につながったように。

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黒澤明は別に「前衛」ではないけれど、50年代の作品は、なんかオカシイですよね。そこまでやるか、ということをやっちゃう。ゲージツカというのはそういうもんなんだ、という世の共通了解をうまく追い風にして巨大エンターテインメントを作った人なんじゃないかと思う。

ポピュラー・カルチャーの人たちが恐れおののきつつ反抗する「ゲージツ」の原像は、第二次大戦を挟んだ20世紀半ば、1930〜1950年頃に形成されたものなんじゃないだろうか。どうもこの時期の「ゲージツ」観は、19世紀〜世紀転換期のいわゆる芸術至上主義とも、戦間期の国際主義とも、戦後の実験とも違う気がするのです。

グリーンバーグやアドルノが「旬」だったのもこの時期で、メシアンがトゥーランガリラを書いた時期で、フルトヴェングラーの最盛期もこの頃ですよね。みんな浮き世離れしてスケールがでかい。でも、これを時代錯誤とか言ってはいけなくて、時代錯誤に見えるスケールのでかさが、この時代のゲージツカのスピリットだったんじゃなかろうか。日本の現代史で賛否両論ある「40年体制」とされるものに似た、総動員っぽい感じが戦争を挟んでその前後にもうちょっと幅広く続いていたんじゃないか。

[音楽史の授業のためのメモです。]