「若きフランス」

とは何だったのか、メシアンのことを考えるといつも、よくわからなくて引っかかっていたのですが、シュトゥッケンシュミットの『現代音楽の創造者たち』のメシアンの項目には、かなり明快な説明があった。正確な理解といえるのか判断しかねますが、輪郭のくっきりした解説なので、話の出発点、たたき台にはなりそうな感触がある。

1930年代に、メシアン、ジョリヴェなどの4人の当時の若手音楽家が、ヴァレリーなどの4人の文学者を後ろ盾にして「若きフランス」を宣言したようで、綱領を作成するところはシュールレアリズムやダダ、未来派など戦間期以後の画家たちの運動をモデルにしたように思えるし、文学者が音楽家の後ろ盾になるところは、たぶん1920年代のコクトー、サティと六人組に取って代わるための装備を整えた、ということなのでしょう。

ジョリヴェは「マナ」というピアノ曲で世に出た音楽のフォーヴという感じの人だし、メシアンはカトリックのオルガニスト。シュトゥッケンシュミットは特にメシアンに関して、音楽の「儀礼性」の復権を指摘しており、20年代パリの都会派モダニズム(悪く言えば根無し草のヤンチャで軽薄な遊び人グループ)のアンチという性格を際立たせる言い方をすると、メタのあとにベタなバックラッシュが来た、ということになるのだと思う。

(シュトゥッケンシュミットは、ストラヴィンスキーについても、詩編交響曲などを意識しながら、20世紀に世界各地へ離散してしまった帝政ロシアの壮麗な儀式への傾倒を見ていたようだ。)

儀礼・儀式としての音楽という路線は、1930年代以後の「総動員」な感じと、良くも悪くもフィットしてしまうところがあって、その先に第二次世界大戦がある。

第一次大戦のときは、インテリ支配層が当初は戦争を歓迎して、芸術家文化人がどんどん志願兵になったりした。インテリさんたちが時代遅れの「名誉と誇り」に駆られて戦争に参加しちゃったものだから、その間ヨーロッパの芸術文化は事実上、停止・停滞した。

でも、第二次世界大戦のときは各国がたっぷり時間をかけて「総力戦」の準備をして、ベルリンや東京ですら、敗戦の間際まで、「銃後」では芸術文化活動が続けられ、敗戦後もイデオロギー(と一部の人事)だけを入れ替えて、すぐにリスタートした。

第二次世界大戦は、戦争中も、というより、当時の考え方だと「兵隊さんが前線で闘っている今だからこそ、銃後の我々も」芸術文化を活発にして国威発揚せねばならない、という不思議な戦争で、それは日本だけがそうだったわけでなく、ほぼどの国もそうだったみたい。

だから、1930年代1940年代の芸術文化は量や数の上では相当充実しているのだけれども、そのことは、戦後、「黒歴史」になってしまったように見える。

「若きフランス」は、そういう経緯があるから語りにくくて、メシアンは、もっぱらブーレーズの師匠という戦後新たに作られた括りで論じられてきた、ということなんじゃないだろうか。

儀礼性の復権とか、「汚いことがかっこよかった1920年代」への反発(という意味のことをメシアンはのちに言っている)が、総動員的・大政翼賛的なものとどういう関係にあるのか、掘り返すのは億劫だし、そう簡単に割り切れない、という思いが長くあったし、それが人情というものだったのだろうという気がします。

でも、そろそろ、やらなアカンでしょうね。

貴志康一のベルリンとか大澤壽人のパリは、もはや戦間期のそれではなく、ナチスが台頭したり、「若きフランス」なんてことが言われようかという1930年代半ばの話ですし……。もちろん、近衛秀麿の場合もそうだし。

かりに、この運動が、両次大戦間のパリに、あんなに頻々と、多くの成果をあげつつ魅力あふれる姿で登場してきた、前衛運動の軽快さももたなければ、あの明朗さ、舞踊風の快活な感性というフランス的美徳もすててしまっているとしても、ここには、ひとつのあたらしい文化的感覚の噴出を推測させるものがある。もちろん、こういう運動を、うけいれないことは自由だが、しかし、現象として、これを、過小評価することは許されないだろう。(181頁)

現代音楽の創造者たち (1959年)

現代音楽の創造者たち (1959年)

シュトゥッケンシュミットは、この文章を「若きフランス」が出てきた直後ではなく、1958年に書いているので、新しければ何でもいい、というのではないし、よくわからないものに直感・ヤマ勘で乗るギャンブルでもない。そのあと戦争になってそれが終わって、さらに新しいことが起きつつある時点から振り返っている。あの時なにがあったのか、そこから目をそらすことはするまい、ということか。

近代日本のカトリシズム―思想史的考察

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1930年代40年代にカトリックが特別な意味をもったかもしれないという話を聞くと、音楽では、柴田南雄が学生時代からカトリックに帰依したことを思い出す。
わが音楽わが人生

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そして、今誰がどういう思いで柴田南雄を偉くしようとしているのか。若い人たちはしっかり見届けて、20年後30年後に語り継いでいただきたい。

20世紀末の東京に、あんなに頻々と、多くの成果をあげつつ魅力あふれる姿で登場してきた、趣味人的軽快さももたなければ、あの明朗さ、ポップで快活な感性という江戸的美徳もすててしまっているとしても、ここには、ひとつのあたらしい文化的感覚の噴出を推測させるものがある。もちろん、こういう運動を、うけいれないことは自由だが、しかし、現象として、これを、過小評価することは許されないだろう。

というような文章をいつか書くために。

柴田南雄著作集 第2巻

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パリのプーランク―その複数の肖像

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