十年

https://note.mu/lingualina/n/n7635c678e46a

こういうのは経験則に過ぎないと思うが、仕事/作品(← workですな)というのは、10年で一区切りになるくらいが現状では諸々いい具合なのかもしれない。

人間は色々妄想するから、最初から「十年計画」と思うと上手くいかなくて、やってるうちに気がついたら十年で区切りがついた、くらいになるのが、「強制力」への警戒感が強くて規律訓練が老害呼ばわりされてしまい、環境管理がトレンドとされる当節では、ちょうどいいのか。

仕事としての work で言えば、「非正規」などと酷い呼ばれ方をされてしまっている単発請負と、羨望・やっかみの対象になって、過剰に「弱肉強食」「ゼロサム All or Nothing」感(ある意味「永遠のゼロ」感とも言えそう)を周囲に漂わせている終身雇用の間のどこか。

作品としての work で言えば、一発芸めいた「瞬間芸術」と、作者の名前など消失してしまうような「普遍」「永遠」なるものとの間のどこか。

「表現の自由」が問題になる世俗世界というところは、だいたい、それくらいの感じで回っておるのだろう。

(大栗裕への取り組みは、やりはじめてから10年というと2018年の生誕100年が来てしまうので、まあ、どうしましょう、ということになってしまうが、先日、この音楽家が本気で「純音楽」を勉強しはじめて10年と少し過ぎた頃にちゃんと成果を出していたらしいことに偶然気付いたので(既知の、とある曲の譜面を改めてちゃんと読んだら、これは見事だ、と思える出来映えだった)、こういうささやかな発見を積み上げたら、そのうちなんとかなるだろう、と思うことにする。人間40代50代でも「成長」するみたいですよ。)