授業の準備で1930年代40年代の管弦楽曲を色々集めてみたら、この時期は現在もレパートリーに残っている曲が本当に多い。
レスピーギのローマ三部作は1920年代だけれどベルキスは1936年の曲だし、カルミナ・ブラーナもウェーバーの交響的変容もそうだし、ショスタコーヴィチは4番から9番まで書いているし、プロコフィエフの5番もあるし、バルトークのオケコンも1945年。戦後になるけれどメシアンのトゥーランガリラ。ダイジェストにしてCD-Rを作ると、吹奏楽コンクールの人気曲のアンソロジーみたいになってしまう(笑)。
これだけ各国で大きな作品が書かれているのだから、大日本帝国が皇紀二六〇〇年でシュトラウスやブリテンに新作を委嘱したのも、それほど突飛とは言えないですね。
そしてアメリカではコープランドまでもが「Common Man」のための音楽を書いて祖国に協力しちゃう。
この時期の騒々しい管弦楽曲を色々並べた最後に「リンカーンの肖像」のゲチスバークの演説のところを聴くと、やっぱりなんか感動してしまう。
政治的にどういう立場であれ、この時代にこの種の大作を書く人たちは、人民なのか国民なのか市民なのか庶民なのか大衆なのかわからないけれど、「みんな」に向けて書いている、それなりにモダニズムを消化して、19世紀までのインテリぶっていたり貴族的だったりするのとは違う「現代の言葉」で音楽を書いているつもりなんだろうと思うし、そのようなものとして受け止められていたのだろうと思う。
戦争が終わると、勝った方も負けた方も、そんな風には考えていられなくなるわけだけれど……。