野外演奏・広場の音楽

警察の研究を警察官という人(と組織)についての研究として立案すると、早晩、現役のおまわりさんとどうつきあうべきか、というところに真正面からぶつかって、結構ややこしいことになりそうで、それは意味のある衝突なのかどうか、判断が難しい。

警察音楽隊とは何か、の件は、いきなりそこへ突き進むのではなくて、野外演奏が今も昔もそれなりにこの国でもあるよね、というような話でいいのではないかという気がする。

広場とは何なのか、ということだ。

大阪城も、今は「公園」だが、陸軍が駐留したりして、城主がいなくなったあとも、かなり長い間、「公園」ではなかったわけです。

こんな感じに「広場の音楽」の理念と実際を追っていくと、色々出てきそうではある。

[すぐにはできそうにないが、「蝶は蛹の時代を覚えているか、忘却は蔑視ではないか、オイ、こらっ!」みたいな八つ当たりはさっさと忘れて(ちなみに「オイ、こら」口調はかつて警察官の定番とされていましたが、それはともかく)、「広場の音楽」のほうをあとまで覚えて、気長に取り組むアイデアのストックのひとつにしたい。都市文化学として都市と音楽/都市の音楽を語るってのは、たぶん、そんな方向性だよね。幼虫や蛹が蝶になって世間に羽ばたくと、具体的なことは忘れられてしまうかもしれないが、それでも将来子供連れで広場に足を踏み入れることはあろう。「密着ドキュメント警察24時」みたく闇を暴く系じゃなしに(笑)。]