20世紀の三大作曲家

大栗裕は、1950年代半ばに作曲として世に出ようとしたときに團・黛・芥川の「三人の会」を強く意識していた気配がある。憧れなのか嫉妬なのか対抗意識なのか目標なのか、具体的に特定できるだけの材料はないけれど、ともあれ、彼らの存在を参照・前提すると大栗裕の初期の動きを説明しやすくなる。(一方、おそらく、そのあとの「東京芸大戦後派」(1930年代生まれの人たち)の仲間に加わりたいと思ったことはなかったんじゃないか。このあたりが、同じ時期に関西から出た作曲家の松下眞一や、音楽評論家の上野晃とは違う。)

では、もう少し視野を広げて、それじゃあ「20世紀の音楽」をどう捉えていたのか。

私自身は、高校生の頃、小倉朗の「現代音楽を語る」がシェーンベルク、ストラヴィンスキー、バルトークの三題噺になっていたのが強く印象に残っていて、この3人をいわば「三大作曲家」と見る立場がどこかにあるんだろうと思ってしまうのですが、実際の20世紀音楽論の展開はどうなっているんでしょうね。

シェーンベルクvsストラヴィンスキー、というとアドルノの「新音楽の哲学」が思い浮かぶわけですが、ここにバルトークを加えて「三大作曲家」に仕立てるのは、柴田南雄と近いところにいた小倉朗だからなのか、そして同じく柴田南雄と親しかった吉田秀和がこの種の構図に依拠しがちだから、それでなじんでしまっているに過ぎないのか。

18、19世紀音楽(=クラシック音楽)の「神話化」もしくは「規範化」の話は、いいかげんやり尽くされた感じがあるわけじゃないですか。

そうこうするうちに、20世紀(前半)が「神話」に参入されつつある。

群雄割拠じゃない風に20世紀を語る話法の系譜、ですよね。

どこから手を付けるのがいいのか。