「ネーションのことは民間でやってくれ」 21世紀の東京芸大作曲科

[改稿=コピペ全盛の時代に背を向けて、大胆にデリート機能を活用]

東京芸大が入試にバッハ様式のコラールと古い対位法を課すのは、「うちでは、今後はヨーロッパ流の composition を教えます」という宣言なわけだが、21世紀の日本で、ヨーロッパ流の composition の需要などほとんどないのは明らかなのだから、これは、明治の唱歌教師養成を主たる目的とする師範科中心の音楽学校(←奥中康人らの一連の仕事を見よ)とも、大正の民間での国民音楽樹立の機運を受けて設置されたようにも見える同校作曲科(←片山杜秀の一連の評論を読め)とも違う、もっと間口の狭い小さな「塾」のようなものに衣替えしますということなんじゃないか。今後うちでは、国民を創ったり、国家の祭儀を司る人材を育成する気はないし、市場の商品開発・デベロッパーのニーズに応じるつもりもありません、そういうのは、他所でやってください、と。

東京芸大は、日本で唯一の国立の音楽学校だ、という位置づけでずっと来たわけだけれど、よく考えてみれば、独立行政法人は今、どんどん「民業」に近い営業形態を求められている感じがあるわけで、だったら思い切って、フランス語学校の音楽版みたいなものに衣替えしてしまおう、ということではないでしょうか。フランスで勉強して帰ってきた教師が多いのだし、今後万が一、政府が「人文切り」のついでに「芸大切り」をしたときには、何ならフランス政府の援助を取り付けて、うちの作曲科はフランスの出先機関になってもいい。

……どうも、そういう開き直りのような気がします。

明治の唱歌は校門を出ず、21世紀の芸大は校門を開かず、みたいな(笑)。

ほっとけばいいんじゃないですかね。

東大に、美学のほかに、もうひとつ表象文化ができたみたいに、今の芸大は色々新しいコースも設置されているみたいだし、前にもちょっと書きましたが、インスタレーション系の造形芸術作家のほうが、そこらの「作曲家」よりはるかに「耳がいい」という事態が起きたりしているわけだし、パフォーマンスの台本の作り方をフランスへ行って勉強する以外のやり方で身につけるルートなど、いくらでもあるのだから。

(言ってみれば、東京芸大作曲科は、才気走ってはいるけれど家族を捨てて失踪した父親みたいなものになった、ということでしょう。敢えて大久保賢向けに暴言を吐くとすれば。

「それでもこれが私の父だ、失踪したからといって除籍はしない」という人も当然いるだろう。でも、この島にフランスの血が入ってから数十年、幕末まで遡っても150年なので、この人(たち)と知り合いであったり、想像的につながっていると思い込む人はいるだろうけど、戸籍の意味での血のつながりを認定することのできない個体が大多数なわけで……。そういう案件で、偶然道ばたで出会った若者に喧嘩を売るのは、なんだか、カミュみたい。そんな感じの小説が、初期の大江健三郎や石原慎太郎の周辺にあっておかしくないかも……。)