吹奏楽の伝道

[追記あり]

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150207/p1

上のリンク先の記事について、別の解釈があり得るのではないか、とのご指摘をいただき、改稿とともに後半を削除しています。

要点は、上のリンク先にある2つの文章と、ウィキペディアの項目に類似の記述があることについて、おそらく3つの解釈があり得るということです。

  • (a) 偶然の一致に過ぎない
  • (b) どれかひとつがソースで、他がこれを踏襲した
  • (c) 3者の背後に、文章として公然化されていない何らかの出所がある

当初私は(a)でないとしたら(b)、心証としてはほぼ(b)で決まりだろう、と考えていましたが、(a)でないとしても、加えて(c)の可能性があり得るのではないか、とのご指摘です。

なるほど、むしろこの可能性を加えて考えるほうが生産的だと判断しました。

[追記]

ただし(a)〜(c)いずれの場合であったとしても、書いてある内容があまり正確でないことに変わりはありませんし、下のリンク先でウィキペディアの記述について指摘したことは、そのままいずみホールJupiter掲載原稿と大阪市音楽団定演解説の記述にもあてはまります。

出所が何であれ、不正確なものは不正確です。

[追記おわり]

さて、そして改めて、もう少し具体的にこの件を考えてみます。

可能性(c)だとしたら、どういうことになるのか、です。

[可能性(a)の場合についても、それはそれで問題ありだと思いますが、それについては、すぐ下のエントリーをご参照ください。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150211/p2 ]

【引用1】と【引用2】から、どういう理由によるのか現時点では事情がよくわからないけれど、大阪市音楽団の関係者は、大栗裕について語るときに、それが事実でない事柄を含めて、極めてよく似た語り方をするらしいことが観察されるわけですね。

あくまで現時点では、そのようなことが起きるのが偶然なのか、何らかの原因があるのか不明ですが、あり得るひとつの可能性として、たとえば、大阪市音楽団には、自分たちの楽団のために書かれた作品とその作曲家である大栗裕について、独自の伝承が今もあるのかもしれないし、あるいは、団の見解として語るときにはこのようにすべし、という風に言葉を方向付ける何かの力が働いているのかもしれない。

そしてもしそうだとしたら、それは、むしろ興味深いし、面白そうだと思うわけです。

(現に、たとえば「東洋のバルトーク」もしくは「大阪のバルトーク」という言い方は、言い出しっぺではないにしても、1980年代に関西の吹奏楽関係者が『バンド・ジャーナル』等に書いた文章を通じて広まった可能性が高く、どうして大栗裕とバルトークの名前が結びついたのか、さらに由来を遡ると、1960年前後の関西音楽新聞での朝比奈隆の談話などに行き当たります。[→この件、ティーダ出版の「大阪俗謡による幻想曲」管弦楽版ポケットスコアの序文をご参照ください。]

大栗裕に関して、関西のオーケストラ関係者や吹奏楽関係者の間ではよく知られているけれど、部外者は知らない伝承が他にもあって不思議ではないですし、そのような伝承は、仮に表面化するとしたら、うっかりすると見過ごしそうな、当人も意識しない形で不意に漏れる、という形になる可能性が高そうです。)

今回の一件がそうであるか否か、即断はできませんが、その含みを持って受け止めておく、というのは、私にとっては納得のできる落としどころなのでそうします。

(ちなみに、この件をご指摘くださった方は、私の文章が戸田直人さんへの個人攻撃をしている形になる(見える)のは得策ではないんじゃないか、とおっしゃったのですが、

もしもこのような形で、事実か否か、とは異なる信念なり逸話なりが特定の場や団体で伝承され、それが耳に入る得る立場にいる、というのは、羨ましいことではあっても、だからダメだ、などと思うはずがない。

そうして独自の伝承をどのように外部へアウトプットするか、というのは、考えてみれば伝道や教学というような語彙で宗教団体が取り組んでいる事態とも、どこか似たところがあるわけで、これをどのように取り扱うか。難しいことではあるけれども、もし本当にそういう案件なのだとしたら、おそらく、戸田さんような立場の人にとっては、取り組み甲斐のある課題、結構なことではなかろうかと思います。

事実とは認めがたい文言を見つけたときには、それは変だとこれからも言いますが。)